本当は違うテーマで書くつもりだった。でも、心がザワザワして止まらない。ウクライナへの侵攻がはじまってしまった。戦争が、来た。
アイルランド在住の妹の夫は、ウクライナの人達の避難場所確保や、車で空港に迎えに行くボランティアをしているという。中欧に住む作家さんが難民の自宅受け入れをしていることをFacebookで知った。私に何ができるだろう。気付くとスマホの検索バーに「戦争・終息・いつ」「戦争・どうやったら終わる」と打ち込こんでいる。何の解決にもならない虚しい作業。目に見えてやったことと言えば、ZOZOTOWNでチャリティーTシャツを買っただけ。何もしていない自分が本当に情けなくなる。
クリスチャンではないけど、幼稚園・小学校とミッションスクールに通っていた私は、平和について考える機会が比較的多かったほうだと思う。日本は本当に平和だと思っていたから、世界の国々の争いや飢えに苦しむ人々のためにたくさん祈った。イラン・イラク戦争、ソマリアの内戦。自分と同じ子ども達の境遇に心を痛めつつも、でもどこか遠い国の出来事として実感が伴わなかったのも事実だ。
あの頃の私に読ませたかった本がある。『わたしのせいじゃない せきにんについて』(岩崎書店、L・クリスチャンソン他)。教室でいじめられて泣いている一人の男の子。理由は様々だが、周りのクラスメートはどの子も口々に言う。「わたしのせいじゃない」「いじめられる本人が悪い」「見ていただけ」。自分は無関係だと主張する。そこに唐突にあらわれる写真のページ。世界中で起こっている戦争などのリアルな社会問題が次々と突き付けられる。
2017年にこの本の大型版が出版された。大きくしたことには意味があり、何度読んでも後半の写真ページでは動悸が止まらない。ぜひ、目を背けず見てほしい。すべては私達の無関心の先に起きた出来事。本当に、わたしのせいじゃない?
「ウクライナ・ロシア情勢についての子ども向けの本」という問合せが増えてきた。ロシアは若干あるけど、ウクライナについての本はほとんどない。子ども向けの地政学の本や学習漫画の第一次世界大戦や冷戦時代の巻など少しでも手掛かりになるものはないか思いを巡らす。今私にできること。子ども達の関心に応えたい。平和を祈るとき、その相手の顔が見えるようにしてあげたい。壊れていく世界への無力感を少しでも取りのぞけるようにしてあげたい。そのために情報収集に励む日々だ。
(本紙「新文化」2022年4月7日号掲載)