韓国漫画が初めて日本のマンガ雑誌で本格連載されたのは、1999年、講談社の青年マンガ誌「モーニング」においてだった。作・朴史烈(パク・サヨル)、画・李載学(イ・ジェハク)『大血河』である。
このころ「モーニング」は、アジアやヨーロッパの作家を起用した連載枠を設けており、台湾の巨匠・鄭問(チェン・ウェン)『東周英雄伝』などが話題作となった。
韓国の漫画家も『大血河』以降、何人かが起用された。しかし韓国漫画には追い風が吹かなかった。それはなぜか。連載とはいうものの、週刊誌に月1回程度のペースや不定期掲載にとどまり、また部数の多い本誌ではなく、部数が少ない増刊誌に掲載されることが少なくなかったからである。
結局その時点では、日本のマンガ業界でヒットするための必須条件のひとつ「人気雑誌に連載して多くの読者の認知を得る」ことは、未だクリアされなかった。
また、韓国では、同時期の90年代後半から雑誌漫画の時代が本格化し、日本マンガの翻訳の雑誌連載が始まっている。つまり漫画家の側にも、日本マンガ的な雑誌連載のノウハウが十分に確立されていなかった。
さらには作品内容そのものが、「日本人ウケするエンターテインメント」からまだまだ外れていた。
当時マンガ雑誌に連載されコミックス化されたのは、日本では馴染みの薄い武侠ものの『大血河』、山水画的な筆致で描かれる釣り漫画の呉世浩(オ・セホ)『ナクシチル 韓国釣り日誌』、ソウルの夜の街で小さな店を構えるシンガーの女性の悲哀を描いた黄美那(ファン・ミナ)『ユニ』、韓国の象徴たる虎を主人公にした、安壽吉(アン・スギル)『虎物語』などだった。
「モーニング」編集部は当時、日本にはない要素を外国の作家に求めたのだろう。たとえばファン・ミナ『李さんちの物語』は家族もののコメディだが、随所に韓国的な風習や題材、儒教的・家父長制的な社会における女性への抑圧の描写が織り込まれている。
しかし2000年代以降に比べると、当時の日本は韓国の文化や社会への関心が著しく低かったため、こうした方向性は商業的にかえって裏目に出てしまったと言える。
それから10数年たち、2000年代に日本でヒットした『新暗行御史』『黒神』『らぶきょん』は、「読者にいかに届けるか」という流通上の課題については、マンガ雑誌への定期連載やTVドラマからの流入によってクリアできた。また、日本マンガを読んで育ち、韓国の漫画雑誌で連載のノウハウを獲得した若い作家たちは、日本人ウケする作品内容を体感的に理解していた。
ここに至って、韓国漫画の日本展開を阻んできた2つの課題を乗り越える答えが見えたのである。
だが皮肉なことに、2000年代を通じて韓国の出版漫画は、学習・教養漫画を除いては勢いを失っていく。そして2010年代になると、ウェブトゥーンが日本にやってくる。
(本紙「新文化」2024年10月24日号掲載)