夏休み、久しぶりに本屋を巡るだけの旅に出た。道中、飛行機の中で再読した柳美里『南相馬メドレー』にこんな一節があった。
「本は、単なる商品ではありません。読者は、消費者ではないのです。(中略)自分の中に確かに存在するけれども、目には見えない『こころ』と出会うことができるような本を揃えています。良い本との出会いは、自分の『こころ』に触れることができるから」
そして、本についての記述は続く。
「本は、扉を開ければ、そのまま異世界に通じたり、存在という事実そのものに立ち戻らせてくれたり、悲しみを明るく照らしたりしてくれるのです」と。
さらに、本を構成する言葉について触れられていた。 「言葉は、言葉としての役割を最終的に問われるのは、自分と他者の不幸や不運に直面した時だ」と。
言葉に傷つき、言葉に救われ、言葉の役割を絶えず問われる場所で、言葉と向き合い続けた柳さん。彼女が店長を務める本屋「フルハウス」に伺ったことがある。それは「本屋って何だろう?」という問いに対する僕の考え方をまとめるうえで、大きな意味があった。
近々、店主が書いた名著『窓のある書店から』の新版が発売される。一足早く拝読した。
書斎に隠って世界を窺うのではなく「読書もひとつの体験にしたい」と考えてきた店主の想いが詰まっている。あの時訪れた本屋に、再び足を踏み入れたかのような感覚を得ることができる作品だった。
(本紙「新文化」2021年8月26日号掲載)