第12回 2000年代韓国漫画家の日本進出

90年代末から、新興の作家やIT・通信系事業者を中心にウェブトゥーンが勃興した一方で、同時期から一部の紙の漫画出身の作家たちは、活動の場を求めて日本進出を試みた。

その皮切りとなったのは、梁慶一(ヤン・ギョンイル)が月刊マンガ誌「コミックビーム」に1998年7月号から連載を開始した、平井和正原作の「死霊狩り ZOMBIE HUNTER」である(韓国「ヤングチャンプ」にも連載)。

同作で編集協力・翻訳を担当した張綜哲(チャン・ジョンチョル)が、当時アスキーのスタッフとして韓日の橋渡し役を務め、「ビーム」では韓国漫画の翻訳連載や、韓国人作家の新規連載が次々行われた。

2000年創刊の小学館「サンデーGX」に同年10月号から連載された、尹仁完(ユン・イナン)とヤン・ギョンイルによる「新暗行御史」は、04年には韓国人漫画家の作品として初めて日韓共同で劇場用アニメが製作され、シリーズ累計400万部以上のヒット作となった。

また、スクウェア・エニックス初の青年マンガ誌「ヤングガンガン」(05年創刊)連載の、林達永(イム・ダリョン)、朴晟佑(パク・ソンウ)「黒神」は、韓国人作家の作品として初めて、日本でTVアニメが制作された人気作となる。

この作品で、作家のコーディネーター兼編集者となったのが、本連載の共著者、イ・ヒョンソクである。「黒神」以降、スクエニのマンガ誌でも、韓国人作家が日本の読者に向けて新規に作品を多数連載した。

「ビーム」「GX」「ヤングガンガン」など新しく創刊された青年マンガ誌では、画力の高い作家に対する需要があり、デッサンや描き込みを重視する韓国人作家の志向とうまくマッチしたのである。

新書館から06年に刊行開始されたパク・ソヒ「らぶきょん LOVE in 景福宮(キョンボックン)」(原著=02~11年、ソウル文化社「Wink」連載)は、コミックスと並行して同社の少女マンガ誌「うんぽこ」(季刊)でも連載され、単行本全27巻+外伝1巻が完結まで翻訳された。

さらに06年放送のテレビドラマ版は日本でも放送され、DVD化もされて大人気となった。日本で「ドラマの影響で漫画も売れた」韓国作品は、「らぶきょん」が初である。

もちろん、すべての試みが成功したわけではない。2000年代には「らぶきょん」のように韓国漫画の翻訳もかなり精力的に行われたが、当時の日本では、マンガ雑誌やテレビドラマの影響力が大きかった。「単行本で出した」だけでは読者に認知されず、途中で翻訳が打ち切られた作品も少なくない。「スノーキャットのひとりあそび」、「純情物語」など、初期のウェブトゥーンもコミックスが翻訳されているが、結局売れなかった。

ただ、韓国と日本のコミック業界の交流には、20世紀初頭にまで遡る長い歴史があるが、約100年経ったこの時代に初めて、韓国人作家の作品が日本市場でヒットしたのである。これは画期的な変化だった。

こうした2000年代の韓国人作家による漫画、そして10年代以降のウェブトゥーンの日本での商業的な成功には何が必要だったのかをクリアにするため、次回からは、1990年代までの韓国漫画(家)の日本進出・翻訳史を振り返ってみたい。

(本紙「新文化」2024年8月29日号掲載)

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