第6回 記録と記憶

 東日本大震災発生から10年。節目ということもあり、様々な媒体から震災関連の取材と執筆依頼をいただいた。今年に入ってから、被災地の書店さんの声を聞き、多くの震災関連本を読む機会が多かった。
 残された者を守ろうとする優しい眼差しで綴った『南三陸日記』(三浦英之著・集英社文庫)は「生きることは、守ることである」と、教えてくれた。原発事故後のあまりにも理不尽な現実を突きつける『心の除染 原発推進派の実験都市・福島県伊達市』(黒川祥子著・同)を通じて、伝えられない事実があるのだと改めて知った。
 ノンフィクションという、事実の記録でもある作品が、より多くの読者に読まれるにはどうしたらいいのだろうか。
 一方、フィクションはありのままに事実を記録するのではなく、作家の想像力で、読者の記憶の形に似合うようなものに変え、現実を物語として紡いだものといえる。
 文芸誌「群像」(講談社)4月号に収録されていた、「氷柱の声」(くどうれいん著)を読み、フィクションだから伝わることもあると強く感じた。この作品のテーマは、震災時の「言えなかった声」だ。読者の記憶に問いかけ、当事者であった自分と対峙する時間を与えてくれる素晴らしい物語であり、フィクションの力を知ることができる一篇だった。
 震災から10年は節目であるが、通過点でしかない。記録と記憶が詰まっている本を扱う場所ができることは何だろうか。
(本紙「新文化」2021年3月25日号掲載)

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