第11回 ウェブトゥーン隆盛への道

1990年代後半に始まった最初期のウェブトゥーンで、最も人気を博したのは、個人サイト連載の日常・エッセイものだった。それが2002年のYahoo!コリアの「カートゥーン・ワールド」開設を皮切りに03年にはDaum、SK Telecom、KT Corporation、04年にはNAVERなどのポータルサイトが次々とウェブトゥーンサービスを開始。長編ストーリーやギャグものなど、ジャンルも多様化する。

日本で言えYahoo!JAPANのようなポータルサイトが、なぜ漫画に手を出したのか。ポータルは、ニュースや天気予報などを配信する新聞などのマスメディアを代替するとの自負があった。そして韓国では「新聞には連載漫画が付きもの」だったからだ。当初は新聞連載漫画などをネットに転載していただけだったが、徐々にポータル自ら漫画家と契約し発注するようになった。

ウェブトゥーンの課金システムが普及するのは2010年代以降で、当時はほぼすべてが無料で読めた。作品の各話の末尾についたコメント欄の盛り上がりも活発で、読者は好きな作品に何度もアクセスした。この行動は、ウェブ広告で収益を得る際、重要な指標となるページビューや滞在時間の向上に寄与した。

韓国で縦スクロールの長編ストーリー漫画を描いて最初に成功したのは、02年に個人サイトで連載を開始し03年にDaumに移籍した、カン・プル『純情漫画』である。

カン・プルは90年代から活動していた漫画家だが、画力が高くなかったため、新聞社や雑誌社から否定的な評価を受けていた。だが『純情漫画』が映画化されるほどの人気を得たのを機に、以降も、ウェブトゥーンで次々ヒット作を生み出した(2023年には『ムービング』がディズニープラスでドラマ化され、世界的に話題になった)。

ポータルサイト上のウェブトゥーンの初期に人気を支えた存在としては、匿名大型コミュニティ掲示板サイト、DCinsideの「カートゥーン連載ギャラリー」(カー連ギャル)に縦スクロールコミックを自ら投稿し注目されたキム・プン、チュ・ホミン、イ・マルニョン、キアン84らも重要だ。カー連ギャル出身作家たちは、ポータルやスポーツ新聞に進出し連載漫画を成功させた。また、テレビやYouTubeに進出して芸能人化することで、世間に「ウェブトゥーン作家」の存在を知らしめた。

雑誌や新聞など紙の漫画で活動していた作家たちも、徐々にウェブトゥーンに参入していく。90年代に『ヌードル・ヌード』で有名になったヤン・ヨンスンは、04年にParanに掲載した『1001』で、ウェブトゥーンでも地位を確立。カン・ドハがDaumに連載した『華麗なるキャッツビー』(05年)は、映画的な演出で縦スクロールの時間表現を洗練させ、ミュージカル化もされるヒット作となった。

作家探しは、各社の重要な課題だった。2000年代の「プラットフォーム2強時代」の一翼を担ったDaumが、出版漫画出身作家を積極的に起用する一方、ライバル社のNAVERは06年、一般ユーザーがウェブトゥーンに投稿できるサービス「挑戦漫画」を導入。人気を得た作品を「ベスト挑戦」に上げ、そこで成功すると契約し公式連載に格上げする仕組みを作り上げた。これが成功を収め、同社はDaumに差を付けた。

同じころ、日本ではウェブではなく紙のマンガで、韓国人作家によるヒット作が注目されていた。

(本紙「新文化」2024年8月1日号掲載)

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