お風呂の中で読む本は漫画か文庫本なのだけれど、登場回数が最も多いのは江國香織さん。だから私の持っている江國さんの文庫は乾いてもなんだかしっとりした風貌になっていて、目も当てられない感じになると買い直している。
その晩もその何周目かわからない文庫を切りの良いところで読み終え、お風呂から上がる。短編で良かった。長編のときは、お湯を抜いても読み続けてしまったりするから。
江國さんの小説が好きだ。完璧に信じられる言葉を使っている感じがするからだ。くっきりと五感を刺激され、気分良く新しい美容液をおろす。私は子どもの頃からそばかすが多くて、いつかそれらが合体し顔中を覆ってしまうのではと心底恐れている。キレイになるために裏の説明書き〝取説〟をよく読む。(いつもはその類はあまり読まない)
「えんどうまめ大を手に取り……?」
洗面所から居間にいる夫にむかって叫ぶ。
「ねえ、えんどうまめ大ってどんな大きさ? さやえんどうもスナップえんどうも食べたことあるけど、私えんどうまめって、食べたことないかも!」
「あるよ。グリーンピースのことだよ」
たしかに……。言われてみれば、そうなんだけどさ。やっぱり腑に落ちない。美容液の裏側に突然あらわれるべき言葉じゃないのだ。「えんどうまめのうえに寝たお姫さま」とかならいい。こんな取説みたいなところに急に入り込んだら、出会った人をぎょっとさせる。絶対。
さっきまで読んでいた、江國さんの小説のタイトルを呟く。
「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」
なんて、腑に落ちるタイトルだろう! 他の人から見たら歪だけれども、真っ直ぐな愛が綴られている短編集は、江國さんの言葉が、何もかも正しく完璧な位置におさまっている。
やっぱりえんどうまめが腑に落ちない私は、手当たり次第に化粧品の裏側を覗く。10円玉大、ピンポン玉大、1プッシュ分……。パール大っていうのも多いなあ。化粧品だから、パールっていうのは許容できる気がする。
「でもさ、結局適量ってどれくらいなの? 私が持ってるファーストパールと大珠とかじゃ全然ちがうもの。大珠の感覚で使ったら、お金がもたないよ!」
「大珠が当たり前のお金持ちは高い化粧品も気にせず使えるから、なんの問題もないんじゃない?」
と、夫。取説も読みこなせずケチケチな私は、きっと一生キレイにはなれない気がする。
(本紙「新文化」2024年7月4日号掲載)