第10回 「ウェブトゥーン」登場の背景と経緯

日本ではマンガは、デジタルであってもページ単位で表示し、横にスライドして読んでいく形式が一般的だ。一方、韓国のウェブトゥーンは、コマ単位で縦スクロールで読ませるものが主流である。だが韓国にも、ページ漫画形式のデジタルコミックは存在する。

韓国では1990年代後半にウェブ漫画誌が登場し、既存の印刷漫画をネットにアップする「スキャン漫画」が現れた(ただしこの呼称は違法なアップロード漫画を指すことも多いため、本稿では以降「ページ漫画」と表記する)。90年代には、ネット漫画は「オンライン漫画」「ウェブ漫画」などと呼ばれた。

2000年には、N4がページ漫画の有料販売を始め、出版社・時空社(シゴンサ)の子会社、COMICPLUSがこれに追随した。後者は1カ月の無料期間を経て有料化するという販売法を採用し、複数の漫画専門サイトが生まれた。

「ウェブトゥーン」という言葉がマスコミに初登場したのは、2000年8月16日のハンギョレ新聞の記事だとされる。韓国初のパソコン通信を提供した千里眼(チョルリアン)社が運営する「チョルリアン・ウェブトゥーン」を紹介したものだ。ただし同サービスは、ページ漫画形式だった。

ウェブトゥーンの一般的なイメージが、長編ストーリーやギャグを描いた縦スクロール漫画に変化し始めるのは、02年のヤフー・コリアを皮切りに、03年のダウム、04年のNAVERなど、ポータルサイトが次々とサービスを開始して以降のことだ。

しかしそうなる以前の98年、クォン・ユンジュ『スノーキャットのひとりあそび』から、縦スクロール形式のウェブコミック「ウェブトゥーン」の第一世代はすでに始まっていた。このとき人気を博したのは、個人サイト上にプロのマンガ家ではないデザイナーなどが描いたものを無料で読ませる「エッセイトゥーン」(日常トゥーン、生活トゥーン)だった。

日本のエッセイコミックは、作者の分身をそのまま作中に登場させ、実話を描くのが一般的である。しかしエッセイトゥーンでは、作者の代弁者はしばしば動物(スノーキャットなど)、男の子、女の子といった複数のキャラクター(シム・スンヒョン『サランサラン パペとポポの純愛メモリー』)で表され、短篇オムニバス形式の物語+散文というスタイルで綴られた。

97年のIMFショック後、若者が抱く閉塞感や感傷、また競争に疲れた者に寄り添うメッセージが描かれたこれらの作品は、詩などを手がける版元から、ハードカバーの「文芸書」「教養漫画」として書籍化もされた。

同時期に漫画専門出版社が、政府による規制などから苦境にあえぐ一方で、専業漫画家ではない作家が描いたエッセイトゥーンの単行本は、数十万~百数十万部も売れた。こうして絵柄、演出、掲載媒体、出版ルートのいずれをとっても、従来の韓国漫画とは異なるものとして、第一世代ウェブトゥーンは現れた。

続いて2002年、漫画家のカン・プルが個人サイトで、縦スクロールでドラマや映画のような長編ストーリーを採り入れた最初のウェブトゥーン作品『純情漫画』の連載を開始。これが爆発的な反響を呼び、ダウムウェブトゥーンに移籍した。

ダウムをはじめとするポータルサイトは、無料のウェブトゥーンと有料のページ漫画サービスをともに手がけていたが、次第に前者に傾斜していく。そしてやがてウェブトゥーンが、韓国漫画の中心に躍り出ることになる。

(本紙「新文化」2024年6月27日号掲載)

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