第30回 私の名前

長くお付き合いのある出版営業さんが、この度独立することになった。「新しい会社の名前をつけて欲しい」という大役を仰せつかる。彼女の細やかな仕事ぶりと、ぱっとその場があたたかくなるタンポポみたいな人柄を思う。さて、どんな名前がいいだろう。

私の名前の候補は「加恵」だったらしい。『華岡青洲の妻』(新潮社、有吉佐和子著)を読んだ母が、青洲の奥様の名前を気に入ったのだ。けれど姓名判断で「お母さんのつけたい名前だと、この子はすぐ死にますよ」と言われたらしく、そこで候補にあがったのが「理恵」と「紅仁子」だった。父のお姉さんが、恵さんといって早くに亡くなったこともあり、私の名前は消去法で「紅仁子」になった。一週間ほど私は「くにちゃん」と呼ばれていたが、どう気が変わったのか「理恵でいいよ。理恵で」と父が出生届を出したのだった。

こうして、私は「理恵」としての人生を歩むことになった。姓名判断で言われた通り死ぬことは今のところ回避してるし、「理想に恵まれ、お金に困らない名前なのよ。姓名判断で見てもらったんだから、間違いない!」と母に言われ続けてきた。ずっとそう信じて生きてきた。27歳の誕生日までは……。「理恵ちゃん! 命名の紙が出てきたー」と母。墨で書かれたその名前をよく見ると……字が違う。理恵だけど、違う。「恵」が旧字なのだ。母は「今から使えばいいじゃない。芸名とかで」と笑っていたけど、笑えないよね。芸名ってなんだよ。運のいい名前じゃなかったの? 画数って、絶対関係あるよね! 投げやりに出生届を出し、字を間違えた父を恨む。

もし「加恵」になっていたら、長くは生きられなかったのかな、とか。小説のように、嫁姑問題で苦しんでたのかな、とか。時々考えないこともない。「加恵」や「紅仁子」と呼ばれている人生は、今とはきっと全然違っているだろう。名前ってそういう力があるものだ。クラスに4人もいるありふれた名前だったから、ずっと「さやか」とか「のぞみ」とか、三文字の名前に憧れていた。でも、こうやって長く付き合ってきた今、「理恵」以外考えられない。「理恵」としての人生を歩んできたのだなとしみじみ思う。

新しい一歩を踏み出すのにふさわしい会社名。彼女の笑顔とともに私の頭のなかに浮かんだ。ああ、絶対コレだ。間違いない。急いで電話をする。「すごい! ピッタリです!」とうれしそうな声にまっさらのはじまりを感じる。名前に命が宿る瞬間に立ち会った気がした。おめでとう! 心から応援しています。

(本紙「新文化」2024年6月6日号掲載)

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