韓国で「貸与店」(漫画貸与店)と呼ばれるレンタルショップが登場したのは、1988年頃とされる。貸与店の増加は、従来型の貸本所(漫画房)の減少と対照的だった。 貸本所は主に「店内で読む」、店によっては「店外貸出」もする業態だが、貸与店は1泊2日を基本として、漫画や小説、雑誌の店外貸出のみを行った。
大抵の貸本所は個人経営で、80年代になると店も古び、主に成人男性用の空間になっていた。一方の貸与店はフランチャイズチェーンで、新しくてこぎれいなことが多く、少年少女も気軽に利用できた。従来型の漫画房・貸本所は学校の近く、会社員向けは市街地にあった。店内は広く飲食も可能で、そちらを主な収入源とした店も多かった。
一方、貸与店は基本的に狭く、住宅街の近くやアパートメント(日本で言うマンション)に付属する商店用テナントに集中。一時は、どの集合住宅にも1軒は入るほど広がった。
貸本所では主に、貸本所向けの漫画が流通していたが、貸与店では一般書店で流通している雑誌や書籍も置かれた。貸与店は93年頃から注目されるようになり、94年には前年の1000店から一気に5000店以上と、爆発的に増えたとみられる。
こうした貸与店の急増に伴い、回転数の良い人気のある商材が求められ、日本マンガの輸入(翻訳版権取得)量が増大した。
96年頃まで、韓国の出版社は専門家や日本の版元の推薦をもとに翻訳する作品を決めていたが、以降「エロと麻雀マンガを除きすべてが翻訳されている」とまでいわれる状況になる。
韓国でも漫画雑誌が台頭してきたとはいえ、当時、日本のマンガ雑誌やコミックスの刊行点数の方がはるかに多かった。それらは次々に翻訳され、貸与店の棚に並べられたのだ。
貸与店増加の背景には、97年末からのIMFショック時に、政府が失業者対策として開業を推進したことがあると、しばしばいわれる。
だが、おそらく98年の1万1223店(推定)をピークとして、2000年には約6000まで減少、2000年代中盤には、ほぼ街中からなくなっている(ただし98年の店舗数は初出のソースが不明。また、データでは漫画房、貸本所、貸与店を区別していない可能性もある)。
「貸与店は単行本の販売を減少させ、漫画家の収益を掠め取っている」という「貸与店責任論」が一般大衆にまで広まったのは、一部の漫画家たちの声が、ラジオ番組で紹介された2001年だった。 しかし、98年頃をピークに2000年には貸与店はすでに半減していたとするなら、何も01年から大騒ぎする必要はなかったともいえる。
「貸与店はむしろ、漫画単行本の初版を買い支えている」といった擁護論も一部にはあった。それでもやはり、感情的な批判の方が多かった。漫画家や出版社に収益を分配する「貸与権導入」に向けた動きもあったが、貸与店自体が衰退していくなか、法制化には至らなかった。
結局、「貸与店責任論」がどれほど妥当だったのかは、その後きちんと検証されていないのでわからない。
ただ日本でも、出版市場の減少傾向が鮮明になると、2000年代にマンガ喫茶やブックオフ、公共図書館、ネットや携帯電話などが「犯人捜し」の標的となった。
正確な事実や因果関係の把握が難しい混乱のなか、噂や思い込みに基づいて 「敵」を認定し攻撃した点においては、韓国も日本も同じであった。
(本紙「新文化」2024年4月25日号掲載)