第28回 欲にまみれた言葉

人気のドラマの影響もあってか、「不適切」ということについて、このところやたらと考えさせられる。パワハラやセクハラ、された人が嫌だと思ったらそれはもう不適切な行為。けれど、それってとっても曖昧だし、ことにそういうことをしてしまう人って、大概、残念なことに察せないのだ。

同じ言葉でもそこに「欲望」が加わると、途端にハラスメントになるように思う。ああ、発した言葉が可視化されたらいいのに。みんな、おーなり由子さんの『ことばのかたち』(講談社)を読んでくれたらいいのにな。

「だれかを傷つけることばが針のかたちをしていたらどうだろう 話すたびにとがった針が口から発射されて相手に刺さるのが見えたとしたら」

だからといって、臆病になり、人と関わることを止めてしまうような世の中には、決してなってほしくない。だから自分の発する言葉がどんな形をしているか、声に出す前に想像してほしい。

先日、旅先で友人と飲み屋難民をしていた時に、同じくお店を見つけられずにいる20代の女性2人と意気投合し、なんとか潜り込めたお店で4人で飲むことになった。「かわいいねえ」と思わず口にし「あ! ごめんね。セクハラじゃないよ!」と慌てて付け足す。私としては欲にまみれた言葉ではなく、純粋な感想のつもりだったけど、それをどう取るのかは相手側だ。私の今の言葉、どんな形をしていただろう。

記者をしているという2人は、仕事のことや人生のことを、とにかくまっすぐに真面目に考えていて眩しかった。そして親くらいの年齢の酔っぱらいにも寛容だった。アリガトウ。言葉を生業にする20代に、その日の朝のニュースで見た「マルハラ」について聞いてみる。マルハラとは主に年長者から若者にLINEで句点がつくメッセージを送られた時、「怖い」「冷たい」などと感じる新しいハラスメントだ。「実際どうなの?」とたずねると、「なんとも思わないですね」とバッサリ。そのきっぱりとした物言いに惚れ惚れする。情報に踊らされ、思わず後輩とのLINEを見返してしまった自分が恥ずかしくなった。(ちなみに30代の後輩のLINEにはほぼ句点なし)

欲にまみれた言葉は、自分をよく見せようとか相手にぶつけてやろうと思っているから、声に出すとスッキリするし確かに気持ちがいいのだ。でも、自分の発する言葉には正々堂々としていたい。突然出会った凛々しい若者にも素敵な言葉が届けられるような、想像力のある大人でいたい。

(本紙「新文化」2024年4月4日号掲載)

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