第26回 大事な違和感

年末、夫がインフルエンザになった。コロナのときもだが、家族が罹ってもなぜか私は一切感染しないのだ。(ものすごく図太い抗体があるに違いない)とはいっても保菌しているかもしれないので、予定していた忘年会はすべて自粛。年が明け、新年会でめいっぱい取り戻している。

先日も、大好きな編集者の2人と新年会だった。一人は昔から私の活動を見守ってくれているお姉さん的存在のNちゃん。もう一人はおなじみ大好き会のメンバーのDちゃん。それぞれ旧知の仲なのだけれど、なんと3人で集まるのははじめて。なんだかとても新鮮だ。

ワクワクしながら、新大久保のネパール料理店へ。店員さんもお客さんも日本の人がいない。なんだか、海外に来たみたい! 非日常感に包まれて、ほわほわしていると、Nちゃんが言った。

「何持ってきた?」

あ! やっちまった。Nちゃんの提案で「お宝絵本自慢大会」をすることになっていて、ずっとずっと事前準備にいそしんでいたのに、なんと持ってくるのをすっかり忘れるという 大失態!! 自分のうっかりさを嘆きつつ、2人の貴重な絵本を見せてもらう。(結局私は現物なしで披露)お宝本から花が咲き、みんなの絵本愛が止まらない。

Dちゃんのお家はお母様が家庭文庫をやっていて、自分がもらった絵本も文庫に入れられてしまうから、手放したくない絵本には名前を書いたのだそう。確かに、Dちゃんのお宝本には可愛い子どもの字で、フルネームが記されていた。幼い時から絵本に囲まれて育ったDちゃん。子どもの頃の話は続く。

「小さい時、私、本物の鶏をいつも近所で見てたから『もうねんね』(童心社、松谷みよ子文・瀬川康男絵)のめんどりは、わかりにくい絵だなってずっと思ってたんだよね」

あの名作絵本をバッサリ。衝撃。でもお母さんにもそのことは言えず、心のなかで思っていたのだそう。

翌日、『もうねんね』のなかにめんどりを探す。あらためて見ると確かに、ちょっとユーモラスで独特のフォルム。このめんどりが、子どもだったDちゃんに強烈な違和感を残したことで、お宝本と同じく、一生忘れられない絵本になっているんだよなあと思う。自分を素通りせず、引っかかったものたちが、最終的にその人をつくるような気がする。

絵本の思い出を共有すると、その人の知らなかった部分に踏み込んだ気がして、くすぐったいけれどうれしくなる。さあ来週は大好き会だ! 今年はどれだけ絵本の話が聞けるのだろう。

(本紙「新文化」2024年2月8日号掲載)

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