「道場の開設20年の記念に道場生すべての名前を入れたTシャツをつくるので、あなたの名前も入れさせてくださいね」
先生からそんなメッセージが私に届いたのは、2019年のことだった。
20代前半、私はもがいていた。就職もせず役者になることを選んだ。文化系と思っていた世界は体育会系で、運動神経や反射神経が全く備わらない私は、心の動きが体で表現できない。思い描いたような演技ができずに苦しかった。少しでも武器を身に着けなければと焦っていた。そんな時出会ったのが、先生の主催する殺陣の道場だった。
仲間のいる稽古場に行くのとは違う道のりを、木刀を担いで通ったあの時間は私にとって特別だった。結局1年も通えなかったけど、私を知らない人に受け入れてもらい、全く別の場所に一人で来たんだという充足感があった。メッセージを読み返しながら、20年前のほんの一瞬だけ生徒だった私をSNSで見つけ連絡をくださった先生に、びっくりするとともにあたたかな気持ちになった。
この夏、また先生からご連絡があった。私が道場に通うきっかけになった方が亡くなったのだ。20年以上会ってはいないけれど、私の人生に関わってくれた恩人だ。このことがきっかけとなり、24年ぶりに先生とお会いすることになった。
びっくりするほどお変わりなく、何度も何度も、会えて良かったとおっしゃってくださった。先生の人生のなかできっと私との関わりはほんの一瞬で。なぜ今こうしているのかもすごく不思議だったのだけれど、それは本当に楽しい時間だった。
ふと『ふしぎなかぎばあさん』(岩崎書店、手島悠介作・岡本颯子絵)が頭をよぎる。かぎっ子のおなかと心をおいしい料理で満たしてくれるかぎばあさん。あれっ、かぎばあさんと先生って、少し似てるかも。目の前の料理(とお酒)と先生とのおしゃべりで頭の先から爪先までふつふつとあたたかくなるのを感じながら、そう思う。「じぶんの心できめること」が大切だとかぎばあさんはかぎっ子の広一にいう。心のもやもやは結局自分で退治するしかないのだけれど、言葉が背中を押してくれる。
後悔はしていない、けれど、納得もしていない。役者をしていた頃の自分をずっと持て余していた。後日、先生からメッセージをいただいた。そこには、時間は僅かだったのになぜ私のことが気にかかったのかが書かれていた。そして「ある言葉」で私のことが表現されていた。その言葉がかちりと鍵穴に刺さる。もやもやの先に、なにかが見えた気がした。
(本紙「新文化」2023年10月5日号掲載)