休み明けに出社したら、転職のために辞めたYさんから「お世話になりました」の言伝とプレゼントが残されていた。封を開けてみると、鮮やかなオレンジ色の布巾だった。
贈り物は消耗品や食べ物などの消えものがいいと言われるけれど、布巾もかなり賢い選択だと思う。あまり料理をしない人でも毎日コップくらいは使うだろうし、シンクで手を洗えば水も飛ぶ。
普段、消耗品と割り切って安価でシンプルなものを買いがちなものこそ、こうしてちょっと良いものをもらうと嬉しい。帰宅してすぐ、水通しして糊を落とした。より一層色味が鮮やかになった布巾を絞りながら、適切な餞別の品について考える。
見送ったり、見送られたり。毎年、この季節は何かと変化の多い時期だ。今年私は見送る側で、新しい環境に移る2人の門出を見送った。私が選んだ餞別の品は本。ひとりにはもう贈り済みで、もうひとりには近いうちにご飯でも食べながら渡すつもりでいる。
私自身、実はあまり「本」をもらったことがない。これまで餞別の品としてもらったものを思い出してみても、ハンカチや入浴剤、ハンドクリームなど見事に消耗品と日用品で、贈ってくれた人の常識ぶりに感嘆してしまう。
でも私はたぶん、次もまた本を贈るんだろうなと思う。なぜなら、私が一番贈られたいものが本だからだ。贈る本を選ぶのはとても難しい。とても長い時間、悩むこともある。
本をあげることに決めたら、まず、その人についてたくさん考える。今まで交わした会話をできる限り思い出そうとする。本を読む習慣のある人か、好んで読んでいたジャンルは何か、好きだと言っていた作家は誰か、最近興味を持っていること、趣味……。
素直に選びすぎるのはとても危険だ。もうすでに持っている本をあげてしまう可能性が高くなる。
たとえば、私が今度ご飯を食べながら本をあげようと思っている友人について、彼女と交わした会話を思い出す。資格試験のための勉強に時間をとられてなかなか読む時間がないと話していたけれど、美容室で偶然読んだコラムが面白かったと話していたことを思い出す。
それなら、素直にその作家のエッセイ集にするべきか。でもその話を聞いてから随分時間が経っているから、文庫の1、2冊はすでに読んでいるかもしれない。そこで閃く。その作家はエッセイも面白いけれど本業は歌人なのだ。歌集という手もある……。
ということで彼女には歌集を贈ることに決めた。気軽に手を伸ばすには少し値の張るその1冊は、まさに自分では手に取りにくいけれど、貰ったら嬉しいものに違いない。
あとは彼女が何かの拍子にこの原稿を読んでしまわないことを願うだけ。封を開けて中身を見た時の驚いた表情は、贈った側に与えられたご褒美だと思うから。
(ライター・書評家)
(本紙「新文化」2023年4月13日号掲載)