角川つばさ文庫から刊行されている小説版「星のカービィ」(高瀬美穂作、苅野タウ、ぽと絵)は、小学生のみならず、中1男子にも人気がある。
「星のカービィ」は、1992年から続く、任天堂のアクションゲームのシリーズである。だが「人気ゲームのノベライズなのだから、人気があるのは当たり前」とは思わないでほしい。ゲームのノベライズ作品で、この年代の男子によく読まれているのは、この「カービィ」と「Minecraft」ぐらいしかないからだ。
Mojang Studioの「Minecraft」(マイクラ)は、「サンドボックス」型と呼ばれる、非常に自由度の高いゲームである。広大なフィールドを舞台に建物や町、畑を作ったりと、様々な遊び方ができる。YouTubeなどのゲーム実況動画でも人気が高く、小中学生で知らない人はほとんどいないほど知名度が高い。
ゲーム自体にストーリー性はないが、小説版はいかにも、英米のYA小説というテイストだ(現在日本人作家が書いたものはなく、いずれも翻訳もの)。
自然環境の中での孤独なサバイバルを描いた作品や、ゲーム内での子ども同士の人間関係=協力や衝突に焦点を当てた作品などがある。子どもや若者の心情の描写もあり、困難に直面して葛藤し、それを乗り越えて成長する物語になっている。
「Minecraft」をプレイしたことがない大人でも、「ゲームの小説版だが、これなら子どもが読んでも問題ないかな」と思える内容なのである。
一方「星のカービィ」はというと、大人も納得、安心するようなYA作品の類型からは、いささか外れている。
主人公のカービィは、食べることが大好きなキャラクター、ライバルのデデデ大王も同様だ。彼らには、思春期に芽生えるような自意識や内面の葛藤などはかけらもない。ひとことでいえば、「中身が幼い」キャラなのだ。
彼らの基本的な行動原理は〝食い意地〟であり、「かいけつゾロリ」のゾロリやイシシ・ノシシを思わせる。文章は「Minecraft」の小説版と比べて、きわめて平易で挿絵も多い。
少し前の時代なら、これを「幼年童話レベルでは」と感じる大人がいるかもしれない。大人の感覚からすると、小学校中学年ぐらいの精神年齢・読書力を持つ人向けと考えても不思議ではない。
しかし現にそういう小説が、中学生にも好んで読まれているのである。ということは、「中1男子はまだまだ精神的に幼く、読む力が育っていない子も多い」と解釈するしかないのではないか。
とはいえ筆者は、べつにそれを「嘆かわしい」と言いたいわけではない。むしろ、出版業界人や読書推進に携わる人々が、これまで平均的な中学生(とくに男子)に対し、彼らの実態や実力以上に「これくらいは読めるだろう/読むべきだ」という基準・規範を押しつけ過ぎてきたのでは、と思うのだ。
「星のカービィ」人気は、そうしたことへの反省を促す現象とも読める。そして「総ルビで絵の多い、軽い中身の小説」に対する中学生の需要は、意外に大きいだろうと推測している。
(本紙「新文化」2023年4月6日号掲載)