第15回  見えないものの値段

先日、ちょっと素敵なイタリアンで業界の先輩と3人で飲んでいたら、流しのマジシャンが入ってきた。「おもしろかったら気持ちでいいのでお金を払ってください」とその若いお兄さんがいうので、軽い気持ちでマジックを見せてもらうことにした。私達が選んだカードの数を当てたり、なんだか見たことある感じのものばかり。でも、せっかくなので差し出されたカードを一番取りにくいところから取ってみたり、小道具をくまなく触って確認させてもらったり、なんだかんだで最後にグラスから思いもよらない大きさのライムが出てきたときには拍手喝采! たった数分のショーを満喫したのだった。

お兄さんはニコニコ立ち去らない。そうだった、お金を払うのか。相場がいくらかわからない。「さあさあ、このマジックにいくら出すんだい?」とでもいうように、お財布を開く私をマジシャンが見ている。なんだかこちらが値踏みされているようだ。小銭入れを開けかけたけど、パチンと締めて、私は1000円、「たのしかった!」と渡した。先輩たちもやっぱり、1000円ずつ。あわせて3000円。私が渡したお札でもう一つマジックをしてくれた。細かく折りたたんだ1000円札が見る間に1万円札になっていく。なんだか急に惜しくなって思わず口にする。「その1万円で、ここのお店のお会計しちゃだめ?」

数分で彼が手に入れたのは3000円。これは正当な金額なのか。私が払った1000円には純粋なマジック披露への対価ではなく、楽しく飲んでいたみんなとの時間も含まれている気がしないでもない。見えないものに価値をつけるって難しい。時間もお金も、その人が考える価値ってそれぞれだなと、ぐるぐる考え出してしまう。

こうなるともうすっかり「ヨシタケ脳」だ。頭のなかでヨシタケさんのかわいいキャラクターが、あーでもないこーでもないと会議を始める。「5分って長いの? 短いの?」「1000円は高い? お酒2杯は飲めない値段よ」「マジックを披露されたテーブルは私達だけ。これって運がいい?」答えは気持ち一つでどうとでも転がる。まるで『なんだろう なんだろう』(光村図書出版、ヨシタケシンスケ著)みたい。「たのしい」「しあわせ」「立場」など、正解のない答えを〝なんだろうなんだろう〟する絵本。視点や角度を変えて私もぐるぐる考える。

書籍を裏返して、じっとみる。定められた値段。一冊の本に関わる多くの人達の働きと、読者が受け取る大きな幸福。本って安いなあと、あらためて思ってしまうのだ。

(本紙「新文化」2023年3月2日号掲載)

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