先日、劇場に『本屋の新井』(講談社)を胸に抱えた女性がやって来た。彼女は日本語の先生で、この本を教材として使用しているという。それについて、一度ご挨拶をしなければと、律儀な先生はわざわざストリップの公演に駆け付けてくれたのだ。
私は感激した。ダメな文章の例かもしれないが、何かの役に立ったのなら、書いた甲斐があるってもんだ。拙著『本屋の新井』は、この連載をまとめたエッセイ集である。書店員という仕事が楽しくて仕方がなかった、30代の頃の私が詰まっている。日々書店で仕事をしていれば、書きたいことはいくらでもあった。
しかし、そのころの私はもういない。もし書店の袋が有料だったら、という仮定で書いたエッセイもあったが、なんと今では、有料が当たり前である。セルフレジも導入され、時代が変わり、書店の状況が変わったことを実感せざるを得ない。
過去の経験だけで書き続けることは、難しいだろう。私は先日、勤め先の書店の、契約更新を断った。現場で見たものを書くことはできなくなる。
このコーナーの趣旨が読売新聞におけるコボちゃん的なものであるなら、いくらでも書き続けることはできるのだが……。さてどうなるかしら。
(新井見枝香/HMV&BOOKS SHIBUYA)
(本紙「新文化」2023年3月2日号掲載)