第89回 素直な言葉を聞かせて……

 あるお笑い芸人に聞いた話である。入場無料のイベントと、有料のお笑いLIVEで、まったく同じネタを公開したところ、タダで観覧した客は野次か居眠り、チケットを購入した観客は、腹を抱えて笑っていたそうだ。何でもフリーの時代において、その興味深い現象は、エンターテインメント全般に共通することかもしれない。
 自分を振り返ると、お金を払っていないという事実が、良かれ悪かれ、気持ちにフィルターをかけてしまうことが、確かにありそうだ。同じ本を、人に借りて読むのか、書店で買って読むのかで、まったく同じ感想を抱けているのか、私には自信がない。
 近日、自分の著書『きれいな言葉より素直な叫び』(講談社)が発売となるが、編集者から、献本したい人の連絡先をリストにして送れと、指示があった。出版にあたり、世話になった人や、ごく身近な人に献本するのは礼儀だと思うが、脳裏に浮かぶのは、かのお笑い芸人のエピソード。
 口コミのために無料で配りまくる戦略もあるだろうが、私が聞きたいのは、素直な言葉だけである。無料というやっかいな事実が、読み手だけでなく、書き手の私にも影響を及ぼし、素直な気持ちで感想を受け取ることすら、難しくなりそうだ。

(新井見枝香/HMV&BOOKS SHIBUYA)

(本紙「新文化」2023年1月19日号掲載)