その友人はフリーランスの助産師で、車さえあれば仕事ができる。
息子ふたりは大学生になって、それぞれ家を出た。ひと回り上の夫は定年退職をして、どうやら再就職より、家事を担当したい様子。認知症が進んだ両親はホームに入って、穏やかに暮らしている。都心にある分譲マンションに、彼らが戻ってくることはないだろう。
だからもう、どこへだって行けるのだ。夫と長く暮らした福井を出て、東京で暮らしたっていいのだ。身軽になった彼女と話すことで、私はなぜ東京にいるのだろうと、あらためて考えた。
私は東京に生まれ、東京で育ったから、福井の海も、山も、田んぼも、特別なものに感じる。温泉が身近にあることも、雪が降り積もることも、そこに暮らせば目新しさはなくなって、都会が恋しくなるのかもしれない。
だが、配偶者も持ち家もない私は、誰にも気兼ねすることなく、生きる場所をコロコロ変えることだってできるのだ。北海道に住みながら踊り子の仕事をしている人はいるし、書く仕事は海外でだってできるだろう。しかし、東京には勤めたい書店がある。それは今のところ、そこにしかない。私は生まれ育った地に囚われているのではなく、自分で選んだ地で、自由に暮らしているのだ。
(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)
(本紙「新文化」2021年5月20日号掲載)