第45回 猫の鳴き声

 仕事帰りの夜道、歩を緩めれば、物陰からじっとこちらを見ている存在に気付く。駐車場の前で足を止め、手土産のおやつを持って「こんばんは」と声をかけると、猫たちはおっかなびっくり集まってきた。
 それを繰り返すうち、彼らには性格の違いがあり、その日の気分があることを知る。もちろん顔も、毛色も、歩き方も違う。すると、雨が降るとても寒い日、大きな地震があった後、あの猫たちのことがどうにも気になって仕方がない。誰かがどこかで自分のことを考えているなんて、野良猫には想像もつかないことだろう。
 飼い猫なら、人の体温で温まったベッドに潜り込んだり、大きな声で鳴いて、何かを訴えたりすることができる。だけど野良猫には、何があっても呼ぶ相手がいない。
 坂本千明さんの絵本『ぼくはいしころ』(岩崎書店)では、ある日、野良の黒猫である「ぼく」に《こんばんは》と声をかける人が現れる。道端に転がる石ころに名前がないように、名前のない猫を気に留める者はいないはずだった。
 ごはんをもらえた黒猫は、自分がとてもお腹が空いていたことに気付き「もっともっと」と鳴く。
 駐車場で聞いた、猫たちの鳴き声が耳によみがえった。彼らは私に、何を伝えたいのだろう。

(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)

(本紙「新文化」2021年3月18日号掲載)