書店の店頭に、クリスマスのプレゼントを意識した棚をよく見かけるようになった。心なしかいつもより店内が明るく見えるのは気のせいだろうか。
クリスマスシーズンがやってくる。そしてそれは、多くの小売業にとって1年でいちばん忙しい時期でもある。
プレゼントに本を選ぶ人は多い。クリスマス前になると書店のレジには長い行列ができ、ラッピング包装の順番を待つ人で溢れ返る。
私も小さい頃、特別な日に本をもらったことがあっただろうかと思い出してみる。ねだって買ってもらったり、母が仕事帰りに新しい本を買ってきてくれたりすることはよくあっても、特別な「その日」のために選んだ本をもらったことはないような気がする。
書店員時代、クリスマスが終わると必ず、もらった本、あげた本がすでに持っている本だったからという理由で交換や返品をしに来るお客さんがいた。本に大きな傷みがない限り対応していたように記憶しているけれど、「贈る」という行為について考えさせられる出来事だった。
本に限らず、誰かに物を贈る行為は、それがどんなに親しい相手であっても緊張をともなう。そもそも、贈るという行為自体、とても自己中心的で自己満足に近いものだと思っている。貰っても困らないものをと、無難にハンカチなどを贈ることが多いけれど、それでも時々、どうしても本を贈りたいと思うシチュエーション、思う相手が出てくる。
相手のことを考えながら、なるべくシンプルに、このタイミングに合う本を選ぼうと思う。この本を読んでこう思ってほしい、こんな風に感じてほしいという浅はかな考えはなるべく遠くに追いやって、ただ作品として良いものを選ぼうと努力する。それがどんなに思い入れの強い本でも、いざ渡す段になればなるべくさっぱりとして、できるかぎり澄ましていたいと思う。内心とてもドキドキしていても、せいぜいが「私の好きな本」と伝えるぐらいのものだ。
私は「贈る」という行為は、この瞬間がすべてだと思っている。選んだものを手渡す瞬間。そして、手渡される瞬間。
ここから先は、干渉したいとは思わない。私から感想を聞くことはないし、私が受け取る側であっても、できれば聞かないでいてほしい。読んでもいいし、読まなくてもいい。すぐに売っても構わないし、誰かにあげてもいい。
私にとってのクライマックスはとうに過ぎていて、たとえばこのあと「あげた本を相手が気に入って同じ作家の別の本を買った」なんていうイベントが発生しても、すべてボーナスタイムだ。
この先もしかしたら、いつか私もすでに持っている本を贈られることがあるかもしれない。改めて頁を開くかもしれないし、別の誰かに手渡すことだってあると思う。でも交換することはないだろうなと思う。私にとってその2冊は、それぞれの「手渡す」を経て私のもとに辿り着いた別の本だから。
(ライター・書評家)
(2023年1月5日更新 / 本紙「新文化」2022年12月1日号掲載)