10月最後の週末、3年ぶりに開催された神田古本まつりに行ってきた。
中止していた間も小規模のブックフェスに何度も足を運んでいたけれど、やはり神田まつりはちょっと特別な感じがある。日にちが近くなると本好きの友人からお誘いのLINEが来て、こうやって自然と行く約束が生まれる流れも懐かしい。途中の駅で待ち合わせて、一緒に神保町に向かうことにした。
地下鉄のホームに降り立ち、神保町交差点に出る出口に向かって階段を上る。同じ目的らしき人の姿があまり見えないような気がして、久しぶりの開催で人出が減ってしまったのかな、なんて友人と会話しながら上り切った先に広がっていたのは、道を埋めつくしたたくさんの人で盛り上がっている、「あの」古本まつりの光景だった。
あぁこの感じ、と思う。となりを見ると友人も同じような顔をしている。
私たちのように複数で来ている人ももちろんいるけれど圧倒的にひとりで見ている人の方が多い。みな一心に、背表紙に目を走らせている。
私はこんなふうに、人が人以外のものに夢中になっている姿を見るのが好きだ。視線はもちろん、情熱や執着といった感情も、すべてがどこまでも一方通行で交わらないのがいい。
こういう人たちがつくり出す人混みは、一人ひとりが孤立していて、とてもさらさらしている。歩道に並ぶたくさんのワゴンの前にできた人だかりですれ違うのもやっとという状態に見えても、意外なほどするすると進める。
渋谷のハロウィンの人だかりではこうはいかない。人に見せるために仮装した人たちはお互いがお互いの自意識で癒着している。こういう粘着質な人混みはとても苦手だ。
私も友人も、人の波に乗ってワゴンを見たり、見なかったりしながら歩道をゆっくり進んでいく。神保町に着いた時点でだいぶ満足してしまい、目がつるつると滑って背表紙にうまくピントが合わせられない。それでもお互い何冊か購入し、神保町ブックフェスティバルのブースで店番をしている知り合いを冷やかし、などしている間に気が付いたらずいぶん長い時間が過ぎていた。
日が暮れるのが早い。少しオレンジがかったライトが店先を照らし始める。その光景を道行く人たちが次々と立ち止まって、写真におさめていた。人の波もだいぶ引いた。一日の終わりが近づいている。
さて、私も友人も数年前まで書店で書店員として働いていたせいか、見たい棚や気になるワゴンがあっても、他に見たそうな人がいると自然と場所を譲ってしまう傾向がある。むしろ譲った人がどんな本に手を伸ばすのかということに興味がある。
いけないと思いつつ、こっそり横目で確認して、納得したり意外な選択に驚いたりすることの方が楽しかったりするのだ。
(ライター・書評家)
(2022年12月1日更新 / 本紙「新文化」2022年11月4日号掲載)