忙しかったり、予定が合わなかったりと数回続いたのち立ち消えになっていた文芸誌の読書会が、数カ月ぶりに復活した。
コロナ禍に始まったこの読書会はこじんまりとしたもので、参加者全員とそれなりに長い付き合いがある。好んで読む本が完全に一緒というわけでもなく、重なっているようで微妙にずれているところがとてもいい。それでも良いと思える一冊に出会ったらまっさきに浮かぶ顔。人前で話すのが苦手で読書会というものには縁がないと思っていた私に、誰かと感想を共有することの心地よい緊張感と高揚を教えてくれた人たちだ。
今回の読書会の「課題図書」は、各文芸誌に掲載されている新人作家の書き下ろし小説5作品。新しい作家の作品を優先して読むというルールは前回から引き続き採用したもので、まだ評価自体が少ない分、誰かが先行して与えた評価を気にしながら話すということにもなりにくい。
何度か読書会を重ねてみて感じたのが、先に話した人と自分の感想が違った場合に相手に同調せず自分の意見を言うのは、思った以上に難しいということだった。友人の意見にすら揺れてしまうのに、プロの意見に影響されないはずがない。私のような読書会初心者にとっても非常にありがたく、これだけでだいぶ気が楽になる。
それに加えてこのルールで読んでいくと、芥川賞受賞作の予想だけでなく、その前段階の候補作の予想も可能になる。それまであまりピンときていなかった賞の「傾向」や「特色」といった言葉に以前より敏感になった。たった1年という短い期間読んだだけの私ですら、読む前と後で見え方が変化したのだから、何年もずっと読み続けている人には違う世界が見えているんだろうと思う。何事にも言えることだけれど、蓄積された知識や経験は強い。
読書会のための読書と普段の読書は、まったく同じというわけにはやはりいかなくて、読書会のためにノートを用意して1作品読み終えるごとにまとめていった。そして読書会当日。近況報告はそこそこで終わらせ、さっそく読書会を始める。
自分の番が来るまでの間の、あの独特の緊張感。自分の感想と照らし合わせながら、同意するところと自分とは違うなと思うところを確認していく。目の前にいるのは少なくとも読書の面では気心の知れた人たちであるはずなのに、なかなか緊張がとけてくれない。あぁ私はいま怖がっているんだなと感じる。
小説の読み方には正解がない。正解はないけれど、心に触れる部分というものはある。物語を紐解きながら、目の前にいる人に何をどのようにして伝えるかを決めるのは、最終的にはその部分だったりする。自分の番が来て、話しながらまず最初に思ったのは「楽しい」ということだった。怖いけれど楽しい。読書会の楽しみ方が少しだけ分かったような気がした。
(ライター・書評家)
(2022年4月1日更新 / 本紙「新文化」2022年3月17日号掲載)