友人との雑談の中で、寝ている間に見た夢の内容を忘れてしまうのはなぜかという話になり、調べてみた。
どうやら脳内には「記憶を消去する細胞」があって、その消去する記憶の中に夢も含まれるからという記事が出てきた。まだ数年前に明らかにされたばかりらしく、研究が進めばPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に使える可能性もあるらしい。
起きた瞬間は覚えているのに、言葉にしようとすると霧散する。ほんのたまにはっきりと思い出せる日もあるけれど、「記憶を消去する細胞」が相手ならそもそも勝ち目なんてなかったのだと納得してしまった。
夢は記憶の定着装置とも言われているから、不思議と何度も見る夢はもう記憶に定着してしまって忘れることができないものなのかもしれない。友人は、自分の背丈ほどもある大きな犬が、肩を組みながら「もう大丈夫だよ」と励ましてくれる夢を何度も見るらしい。繰り返し見る夢の世界大会があったら、上位入賞間違いないと思った。ふわふわで幸せな夢だ。
去年の春頃から韓国語の勉強を始めて少しずつでも毎日続けてきた成果が出てきたのか、最近ようやく韓国のドラマやバラエティの台詞や会話の内容を聞き取れるようになってきた。
しかし先日、その調子で字幕のついていない動画内の会話を友人に同時通訳しようとして全くうまくいかず、ほんの少しだけ芽生え始めていた韓国語への自信が一気に萎んだ。
直前に聞き取った会話の内容が頭の後ろ、斜め45度くらいのところにひとかたまりの「意味」として浮かんでいるのに、焦点を当ててじっくり見ようとすると消えてしまう。友人に対して申し訳なさを感じながら、掴めそうで掴めないこの感覚は夢を忘れてしまう瞬間にとてもよく似ているなと思った。
勉強を再開してからの数カ月でおおよそ2000の単語を覚えたけれど、短期間で詰め込むようにして覚えた単語と私の間には特別な思い出がほとんどない。単語一つひとつがまだつるつるの状態で、記憶の上に意味が通るように並べても、すぐにすべり落ちてバラバラになってしまう。
日本語で書かれた文章を記憶したり、伝聞したりする時、私たちはもしかしたら文章自体の意味以上に、もっと細かく、たとえば単語と自分との間にできた「背景」を頼りにしているのかもしれない。「背景」という言葉ひとつ取ってみても、たくさんのイメージが思い浮かぶ。その小さな鉤が多ければ多いほど記憶にとどまりやすくなりそうだ。肩を抱いて安心させてくれる大きな犬と友人の間にもきっと、無数のエピソードがある。
夢中になって読んだ本こそ内容を覚えていないのも、もしかしたら同じ理由かもしれないなと思う。鉤ができるよりも早く先を急ぐ。それほど没頭できる本に今年もたくさん出会いたい。
(ライター・書評家)
(2022年2月24日更新 / 本紙「新文化」2022年2月10日号掲載)