「本当に怖い話は、こんなところで気軽に話せたりしないよ」
学生時代、バイト終わりに訪れたチェーン店のカフェで、友人がストローの入っていた紙袋を細かく千切りながらそう言った。冷房が効き過ぎていて、切望していたはずのアイスコーヒーを飲みあぐねたまま、特に盛り上がることもなく消えていった話題のひとつが怪談だった。窓から差し込む夏の日差しと怖い話はとてもミスマッチで、先の台詞は私以外の誰も気に掛けることなく流れていった。
今ではもう連絡先も分からなくて、彼がどんな怖い話を持っていたのか知りようもないけれど、彼の前に積まれた白い紙の山は、うすら寒くてどこか不穏なイメージとして私の中に記憶されている。
どうして突然こんな話を思い出したかというと、まさに先日、雑談の中で「怖い話をして」と頼まれたからだった。久しぶりに彼の声を思い出して、気まぐれに「本当に怖い話」でもしてみようかなという気になった。
私が「あれは本当に怖かった」と胸を張って言える話はひとつしかなくて、しかもそれはもう30年ぐらい前の出来事になる。当時の私は、小学校低学年。念願の一人部屋を与えられて、一人で寝始めたばかりだった。
夏だった。畳敷きの部屋の真ん中に布団を敷いて、薄いタオルケット一枚だけを掛けて眠りについた私は、夜中に息苦しさを覚えて目覚めた。体はすでに自由が効かない状態で、声を出そうにも喉が引っ付き、息をすることすら難しい。暗くて何も見えないのに、目を閉じることもできなかった。
最初はよく分からなかった。気がついたら、布団の上に少なくとも五人くらいの「人」がいた。何も見えないはずなのになぜいると分かったのかといえば、彼らが私の周りを歩き回り始めたからだった。一歩踏み出すごとに、足がついた部分の布団が沈む様子が伝わってくる。ペースはゆっくりで、いちに、いちに、とまるで歩幅を合わせているかのように均一だ。ちょうど、かごめかごめ、と歌いながら回る遊びのように。
恐怖に震えながらそれでもどこかで大丈夫だと思えていたのは、彼らの視線が足元で寝ている私には向いていないことが分かったからだった。このままやり過ごせるという確信があった。隣りは祖父母の部屋だ。体の自由が効くようになったら、隣りの部屋に飛び込む。そう心の中で唱えながら、ただ時間が過ぎるのを待った。
翌朝、食卓に着くなり、祖母が昨夜の私について話し始めた。私は悪夢を見たことになっていた。何となくそれが私以外の家族にとっても良いような気がして、黙って話を合わせることにした。遅れて起きてきた弟が、まだ眠そうに話し始める。昨日の夜、誰か部屋に来た? あぁ、それ、お姉ちゃんだよ。ごめんね、起こしちゃった? なぁんだ、という顔で興味をなくした弟が、白いご飯が盛られたお茶碗に手を伸ばした。
(ライター・書評家)
(2021年9月16日更新 / 本紙「新文化」2021年9月2日号掲載)