第22回 記憶の引き出し

 読みかけの小説に出てきた「下草がふくらはぎを切る」という表現に違和感を覚えたまま3行ほど読み進めてふと、その3行分の内容がまったく頭に入っていないことに気づいた。人間は一度見たものはすべて覚えているといつかどこかで読んだ気がするから、これは記憶の引き出し方の問題であって、その3行分の情報は確かに脳内に収納されたはず、とまで考えて自信がなくなる。
 すべて覚えている、なんて現実的ではないような気がしてくる。そもそも、普段からそれほど真剣に物事を見て生活しているものだろうか。焦点が合わないままやり過ごす日が続いても、滞りなく生活は進む。
 違和感を覚えた理由は簡単で、半袖短パンで毎日のように山や野原を駆け回っていた幼少期を振り返っても、下草にふくらはぎを切られた思い出が見当たらなかったからだった。その代わり、頬はいつも切り傷だらけだったように思う。
 「枝や葉先が、目に入らないように気をつけなさい」と、父や母や祖父母によく注意された。
 子どもはいつも新しいものを、より楽しいものを見逃さないよう必死に目を瞠って走り回る。そんはふうにして幼い頃に見たものはすべて何もかも記憶されて折りたたまれていたとしてもおかしくないと思った。何かの拍子に引き出される日を今か今かと待っているのだ。
 半径300メートルくらいしかない狭い行動範囲の中に自分と同じくらいの年の子がいる家が何軒かあり、物心がついた頃から否応なしに一緒に遊ぶ習慣ができあがっていた。自分より3つ4つ年上のお姉さんたちが苦手だった私は、その閉じられた関係性の中に一方的に放り込まれた理不尽さを呪いながら大きくなった。
 お姉さんたちはいじわるで、毎日のように小さな嫌がらせを用意していた。泣かず媚びず、アホらしいと思ったら遊びの途中でもぷいと帰ってしまう私は張り合いがなかったのか、それとも単に飽きただけか、いつしか自然となくなったけれど、なんてくだらない町に生まれついてしまったんだろうと、大きくなったら必ずここから脱出しようと心に決めた。ずいぶん早めにやってきた反抗期だった。
 大人になってから、この時のお姉さんのひとりと偶然再会した。その場に居合わせた母が「〇〇ちゃんだよ、よく遊んでもらってたの覚えてる?」と私に無邪気に紹介する間、彼女の顔にははっきりと、余計なことは思い出さないで、と書いてあった。あ、覚えてるんだ、という新鮮な驚きのあと、彼女も私もあの頃、同じようにらんらんと輝く瞳を持ったほんの子どもだったと思い至った。長いあいだ忘れることなく記憶の引き出しにちゃんと仕舞ってあったのかと思うと仕返しとかどうでもよくなって、笑顔で「もちろん」と答えたけれど、依然ひきつったままの笑顔を見ながら、忘れたままの方がいい思い出もある、と思った。

(ライター・書評家)

(2021年1月26日更新  / 本紙「新文化」2021年1月14日号掲載)