第14回 我が家のお犬さま事情

 たくさんの知らない人間と知らない犬に囲まれて、我が家の愛犬ムック(雄のトイプードル、13歳)は、かわいそうなほどブルブル震えていた。
  私の帰省と月に一度のトリミングの予定がたまたま重なったこの日、ムックに付き添って初めて動物病院に足を運んだ。母とふたりで待合室のベンチに座りながら、膝の上で震え続けているムックと一緒に順番がまわってくるのを待っていた。
 「岩渕ムックくん」
 飼い主の苗字をつけて名前を呼ぶのがこの病院の決まりらしい。一丁前にフルネームで呼ばれたムックは、後ろ足の間に情けないほど尻尾をしまいこんだまま、引きずられるように施術室へと連れられていった。
 トリミング完了まで2時間。長い試練はまだ始まったばかりだ。
 子はかすがいというけれど、我が家のかすがいは間違いなくムックで、ほぼすべての行事が犬を中心にまわっている。子どもが大きくなってから飼い始めたこともあり、両親はムックの世話をしながら子育てという共同作業をもう一度初めからやり直しているように見えた。いたずらをしたムックを強く叱ることができない父親を見ながら、私もこんな風に甘やかされて育てられたんだろうなと思うと自然と苦笑いがこぼれる。
 飼い始めた当時すでに家を出ていた私は、帰省するたび増えていく甘やかしルールを冷静に傍観していた。その中にはしかし首を傾げてしまうような謎ルールもいくつかあって、そのひとつがムックが用を足すまで褒め続ける、というものだった。
 自然あふれる片田舎で育てられたムックは、基本的にトイレは外でする。家の裏に広がる原っぱに颯爽と降り立ち、用を足すのにちょうどいい場所を探して歩きまわる。
 そのあいだ、両親も弟もそして義妹までも、みんな当然のようにムックに向かって「かっこいいねー」と声をかけ続けていた。
 ムックもまんざらでもない顔をしている。張り切って片足をあげるムックに「足がピンとしててかっこいいねー」とさらに褒めるのは父だけだ。父には昔からこういうところがある。
 小田扉さんのコミック「横須賀こずえ」(小学館)は、ペットに縁のなかった王島家に記憶をなくした天才犬こずえが迷い込んでくるところから始まる。不器用なりにこずえを気遣う王島家のお父さんとお母さんが、うちの両親と重なる。褒めすぎも甘やかせすぎも、結局どちらも不器用さの表れなのだ。ふたりに育てられてきた私にはわかる。
 人間と犬、言葉が通じたらどんなにいいだろうと思うけれど、胸のうちが分からないくらいのほうがうまくいく関係もきっとある。

(ライター・書評家)

(2020年5月21日更新  / 本紙「新文化」2020年4月30日号掲載)