第8回 旅の道づれ

 空港の土産品売り場の一角に、ひっそりと本が売られていた。新刊話題書や旅行書が並べられた棚の奥にさらにひっそりと、文庫本コーナーがあった。平台から天井まで伸びる棚が2本。著者の名前順にいろんな出版社が乱れて並ぶ色鮮やかな本棚の前に、自然と足が向く。
 旅行で宮崎に行ってきた。飛行機で1時間半。家を出る寸前まで持っていく本のことばかり考えていたのに、行きの飛行機ではほとんどの時間を寝て過ごし、数ページを読み進めるのがやっとだった。旅行の移動中に読み終えたその本を鞄の中に確かめる。文庫本コーナーを前に、むくむくとリベンジの思いが湧き上がる。
 「あ」から順に見ていく。観光の合間に気楽に読めるものが人気なのか、短編集が多い。少ないながら翻訳小説もある。ヘルマン・ヘッセの名前が目に留まり、宮崎空港でヘッセを買うのはどんな人だろうと空想が膨らむけれど、既読のタイトルだったのでスルーする。ひと通り目を通すも決められず、土産品売り場で地鶏などを試食する。美味しい。宮崎はとてもいいところだった。
 一両編成の電車に揺られ、飫肥(おび)城跡に向かう途中、車窓から海が見えた。気温は25度。波間に反射する太陽の光が眩しい。車内は観光客で溢れている。ドアのすぐそばに、大きな板状の荷物を立てかけて壁にもたれている男性がいるのに気がついた。くたびれたジャケットを着込んでいて目に暑苦しい。ふいに男性が顔をこちらに向けた。窓から差し込む夏のような日差しをすべて吸い込んでしまうような澄んだ瞳と、顔中に刻まれた皺が不釣り合いな、不思議な顔をしていた。
 車内アナウンスが駅名を告げる。「青島」。鬼の洗濯板で有名な岩場が広がる観光地だ。大きな熊手でひとかきしたような、まっすぐな線が岩場を何本も貫いている。先ほどの男性を盗み見る。板状の荷物はよく見ると大きなキャンバスで、描かれていたのは若い女と年老いた男のようだった。心なしか持ち主の男性に似ているなと思ったそのとき、はたと男性と目が合った。光に加え、海の青と窓外に広がる緑をもすべて吸い込み、いまや男性の瞳は形容しがたい震えるような色になっていた。目が合い続けたままそらせずにいると、男性の口がゆっくり、ゆっくり、動いた。
 「わたしは、挿絵と、旅を、しています。」
 ふっと目の前が暗くなる。耳孔に音がくぐもる。トンネルにでも入ったのだろうかと電車が突き進む先を車掌越しに見つめると、遠くに一点、光が見えた。あ、外だ、と思った瞬間、私は空港の文庫本売り場にいた。右手に『江戸川乱歩名作選』(新潮文庫)を握りしめ、左手には地鶏の入ったビニール袋が下げられていた。

(MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)

(2019年11月21日更新  / 本紙「新文化」2019年11月7日号掲載)