秘密基地は狭ければ狭いほどいい、とは子ども時分のわたしの格言である。
近所の子たちがススキ畑を踏みしめて作り上げた巨大秘密基地の隅っこに、ひとりしゃがむのがやっとの空間を勝手に作って楽しんでいるような子どもだった。
家ではひとり掛けのソファーをひっくり返してできた「へ」の下の隙間に潜り込んで遊ぶのが好きだった。廊下に干してあった鯉のぼりの中に入って怒られたこともある。
こんなふうだから昔から限られた場所で展開する物語が気になって仕方ない。「山椒魚」も「オリエント急行殺人事件」も規模こそ違えど、わたしのなかでは同じカテゴリーに分類される。「獄門島」も「火星の人」も……と挙げていけばキリがないけれど、今回はそのなかでも特に直径30センチ、ひとりの人間が膝を抱えるよりわずかな空間で展開される物語を選書してみた。
小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫)は、体が大きくなることを恐れるあまり11歳で成長を止めてしまった少年の物語である。彼の名前は「リトル・アリョーヒン」。アリョーヒンとは実在したチェスの名手の名であり、彼自身もチェスを指す。しかし、少し変わった仕方で。アリョーヒンそっくりに作られたからくり人形の中に入り込み、人形を操りながらさすのだ。
暗闇に閉ざされた人形の中からは、盤も対戦相手の顔も見えない。駒の動きに刻まれた、そのひと特有の指紋を読みながら対局を進める。四肢を丸め、からくりを動かす姿はまるで胎児のようだ。チェスの場合の数は10の120乗。天文学的とも言える可能性のひとつひとつが羊水に浮かぶ星のように瞬く。自然の摂理に反して母胎に留まり続けようとした彼に訪れた結末を、ここには詳しく書かない。彼とって世界はいささか眩しすぎた。
不本意ながら母胎に留まらざるを得ない主人公が登場する本を合わせて紹介するのは、もしかしたらあまり趣味のいいものではないかもしれない。イアン・マキューアンの『憂鬱な10か月』(新潮社)の主人公は胎児である。男児。名前はまだない。
出産予定日まであと数週間というある日、叔父と共謀した母が父を毒殺してしまったからさぁ大変。愛の結晶から一転、愛のお荷物になってしまった彼。誕生即施設送りを阻止し、母親との幸福な日々を取り戻すため、父親殺しの復讐が(結果的に)始まる。
死ぬ気になれば何でもできると言うけれど、胎児だって生まれる気になれば何でもできる。産道をこじあけ、いざ! 母のもとへ。はたして産声は勝利のファンファーレとなるか。世界でいちばん無力かもしれない、彼の勇姿をとくとご覧あれ。
(MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)
(2019年6月6日更新 / 本紙「新文化」2019年5月9日号掲載)