第1回 てふてふ文庫

 新しい出版社や書店ができるたび、なによりまず名前が気になる。つまり屋号。ひとめ見て由来がなんとなくわかる屋号もあるし、まったく見当すらつかない場合もある。
 なにをつけてもいいと言われると欲が邪魔してなにも選べない。と言うとまるで新しく書店でも始めるみたいだが、今のところ予定はない。
 でももし、わたしにとって最高の屋号に出会えたら、大切な本だけを並べる小さなちいさなお店を開きたい。名は体を表すなら、名前に体を寄せることだってできるはずだ。人生の指針となるような屋号を求めて、毎月ここに小さな書店を開きます。よろしくお願いします。
 風がうんと強い日に空を見上げていると、知らない場所に飛んでいきたくなる。着の身着のまま、舞い降りた地で呼吸するように旅ができたら。
 目的のない旅に思いを馳せるたび思い出す1冊がある。管啓次郎さんの『コロンブスの犬』(河出文庫)だ。ブラジル滞在をもとに書かれた随想で、帯には「詩的反旅行記」とある。
 街を自由に歩きまわり、詩を書く。本を読む。旅行を「同化することのできないもの」を見いだすものだとする著者にとって、必要なのは観光ではなく生活そのものだ。その土地の食事や音楽、言葉を手がかりに異郷にいる自分をより意識していく。獲得される匿名性と反比例するように、街を切り取ったはずの断片には自己が色濃く映り込む。「反」旅行記とあるのはきっとそのせいだろう。友人の長い話に耳を傾けるように、頁を繰りたい。
 東京で暮らし始めてずいぶん経つが、いまだ自分の街という実感が持てないでいる。電車で数駅の移動ですら、肩の力が抜けない。どうしたらもっと飄々と、肩で風を切るように歩けるだろうか。『東京飄然』(中公文庫)。初めてこのタイトルを見たとき、わたしの理想とする東京との付き合い方が書かれているのではと期待に胸が弾んだ。冒頭数行で気持ちいいほど裏切られた。「冷蔵庫の中身が気になって旅に出られない。」あぁ、こりゃだめだと笑いながらレジに持っていった。
 年少の友人を道連れに、日帰り旅行と銘打って街をさまよい歩く。目的の駅に降り立ち、合理的に目的が達成されるのは虚しい、と悲しむ。「こんなのまったく飄然じゃない。」飄然とした振る舞いに憧れるあまり、なにが飄然かわからなくなる。飄然のゲシュタルト崩壊。こうなるだろうことは最初から分かっていた。わたしはこれを求めていたのだ。この本の著者を、勝手ながら東京暮らしの師匠と呼ぶことにした。師の名は町田康。ついていきます。
 はじめての屋号はすんなり決まった。甘い匂いに誘われて、花から花へ。背中の羽に気づけたら、わたしたちはどこまでも自由。

(MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)

(2019年5月10日更新  / 本紙「新文化」2019年4月11日号掲載)