中高生におけるラノベのプレゼンスの低下、読まれるタイトルの固定化(「ソードアート・オンライン」、〈物語〉シリーズ、「キノの旅」といった10年、20年選手が強く、新作は弱い)については、本連載の過去の回でも触れてきた。
しかし、2019年スタートの比較的新しいシリーズが、学校読書調査の中高生男子の「読んだ本」上位に入った例もある。二語十「探偵はもう、死んでいる」(MF文庫J、以下探もし)がそれだ。
この作品のTVアニメは、21年7月期に放映されたが、学校読書調査は同年6月に行われているので、「アニメの影響で読まれた」わけではない。ではなぜ同作は、映像化の以前から支持されているのだろうか。
その理由については、同作を「ラノベ」や「ミステリー」として見るより、「中高生に人気の作品」の特徴を並べ、それと比べて見るほうがよくわかる。
探偵の助手である主人公・君彦は、ヒロインの名探偵シエスタを、タイトル通りすでに失っている。つまりこれは、『余命10年』や『桜のような僕の恋人』同様の、「男女どちらかの死亡が確定しているロマンス」なのだ。
だがシエスタの心臓は、夏凪渚という少女に移植されており、特殊な力によってシエスタの魂は、渚や君彦との対話が少しだけ可能である。これは、大切な存在だった死者との交流を描いた『ツナグ』や、『西由比ヶ浜駅の神様』と同様の設定だといえる。君彦と渚はシエスタの遺志を継ぎ、「世界の敵」とされる謎の組織・SPESとの戦いを続けていく。
本連載の14回で、「中高生に人気の東野圭吾作品は、ミステリーではあるが、彼らにとって重要なのは論理的な謎解きの部分ではない。『死や人生が懸かった設定を用いて、想い人や家族に強い想いを吐露する/托す物語』として受容されている」と書いた。「探もし」も同じである(そもそも「探もし」は、どんでん返しはあっても、読者に論理的な推理を求める要素は強くないが)。
また「探もし」の主人公は、ことあるごとにトラブルや事件に遭遇する「巻き込まれ体質」を特殊能力としてもつ「世界の特異点」である。一方の渚は「何者でもない自分はいやだ」と思っている。そこには「自分は特別」という、いかにも思春期らしい世界に対する自己中心的な感覚が、あるいは「今は何者でもないが、いつか何者かになれるはずだ」という、根拠なき期待や自負が投影されている。
そうしたナルシシズムと、将来への不安や被害者意識が入り交じった作品を中高生が好んでいるということは、『人間失格』や住野よる作品、『かがみの孤城』、『オルタネート』など、この年代に人気の高い作品を横に置いてみれば明白だろう。
一般文芸、ライト文芸、ラノベは、読者層、装丁、キャラクター造形や文体がそれぞれ異なるとされているが、「中高生に人気」の作品という切り口で見てみると、類似した設定が少なくないことがわかる。中高生に届く「型」は、ある程度決まっているのだ。
(2022年5月26日更新 / 本紙「新文化」2022年4月28日号掲載)