2000年に刊行が始まった、時雨沢恵一「キノの旅」シリーズ(電撃文庫、KADOKAWA)は、「学校読書調査」や「朝の読書で読まれた本」を見る限り、20年以上にわたって中高生に読まれ続けている唯一のライトノベルである。
一般文芸ジャンルでは、毎年夏休みになると、読書感想文需要をあてこんで出版社各社が文庫フェアを打ち、太宰治や芥川龍之介、夏目漱石が売り出される。それとは対照的に、ラノベは新刊中心のビジネスである。刊行から年数の経った既刊でも、「古典」「不朽の名作」扱いされることはほぼない。
つまり「キノ」は、キャンペーンのたぐいのおかげで中高生に発見され読まれ続けているのではなく、いまだ読者同士のクチコミか、図書館や書店店頭で棚差しされたなかからわざわざ選ばれているということだ。これは驚くべきことである。
では、「キノ」の何が特別なのか。
まず黒星紅白のイラストと鎌部善彦のデザインだ。ラノベの世界は絵の流行の変遷が激しく、ひと昔前の絵は、若い世代には古くさく見える。だが、「キノ」はそれを免れている。しかもそれは、たとえば図書館の司書に毛嫌いされるような露出度が高い女性の絵や、原色が使われたロゴではなかった。だから「キノ」は、ラノベであるにもかかわらず、学校や地域の図書館に入りやすい本になり得たのだ。
さらに、一人称「ボク」の少女キノが、しゃべる二輪車とともに、1冊のなかで6つ前後の国を旅するロードムービー的な短編集という形式は、1回10分程度の朝読において、1編を読み切るのにちょうどいいものだった。
内容はどうだろうか。キノが訪れる国では「想いが伝わる装置ができたがゆえに、国が滅びかけた」とか、「なんでも多数決で決め、反対する者は粛清していった結果、ひとりしか残らなくなった」といった、ブラックユーモアの効いたことが起こる。
このような皮肉さが、たとえば「ウソをついてはいけない」といった常識的な規範や、多数決のような既存のしくみに対して疑問を抱き、反発しがちな思春期の心を掴む。
また、アクションも魅力的な要素だ。ふだんはそんなそぶりは見せないが、キノは戦うとめっぽう強い銃の名手であり、自分を殺めようとする相手を倒すことを厭わない。 このややギョッとするハードさ、決してきれいごとだけで展開しないビターさは、小学生まで向けの児童文庫などの読みものには、なかなかないものだ。だからこそ、「もう子どもじゃない」という気持ちが芽生えてきた年齢の読者に、刺さるものになっている。
つまりは、この作品の物語やキャラクターに、時代を超える普遍性があったといえよう。
近年のライトノベルは、もはや中高生向けではなく、その多くは実質的には、大人の読者に向けて作られている。であるからこそ、「キノ」は、中高生にとって、これからもますます特別なラノベ作品であり続けるだろう。
(2021年7月1日更新 / 本紙「新文化」2021年6月17日号掲載)