第4回 西尾維新「物語」シリーズの魅力、〝軽さ〟と〝重さ〟の両立

 学校読書調査の「中高生が読んだ本ランキング」に、10年以上にわたって入り続けているライトノベルは、川原礫「ソードアート・オンライン」(KADOKAWA)と西尾維新「物語」シリーズ(講談社)、20年以上となると、時雨沢恵一「キノの旅」(KADOKAWA)ぐらいしかない。今回はそのなかの「物語」シリーズ(以下「物語」)を取り上げ、ヤングアダルト向けロングセラーのポイントを探ってみたい。
 まず、ライトノベルは絵柄の流行の変化が激しく、ひと昔前の作品は、絵の印象で古くさく見えるという問題がある。だが「物語」は、もともと流行とは一線を画したイラストを採用していた。さらに同シリーズは、箱入りの講談社BOXから刊行されているが、図書館では箱を外し、イラストのない本体だけが流通していることが多い。これによって、絵の流行に左右されずに済んでいる。
 内容面ではどうだろうか。西尾作品は他に『クビキリサイクル』に始まる「戯言」、『掟上今日子の備忘録』に始まる「忘却探偵」、『美少年探偵団』に始まる「美少年」の各シリーズも映像化されているが、中高生にずっと支持されているのは「物語」だけである。
 「戯言」は、発表当時の2000年代初頭には、「玖渚(くなぎさ)」などの奇天烈な登場人物名や、各キャラが「人類最強の請負人」といった〝二つ名〟をもつなど、本格ミステリーのなかでは突出してライトノベル的な造形だと評された。しかしいま読むと、軽妙とは言いがたい暗さと会話の小難しさ、連続殺人の痛ましさが目に付く。
 それとは対照的に、「美少年」の登場人物たちは、自意識や内面上の課題に拘泥せず、軽いノリで活劇が展開していく。人が死なないタイプの事件を解決していく、<日常の謎>もの作品だ。また「忘却探偵」も、同じく<日常の謎>もので、個人的な悩みを主には扱わないという点で、「美少年」に近いといえる。
 一方「物語」では、現代に生きる思春期の少年少女が抱える、家族をはじめ周囲との人間関係の悩みや心の問題が、蟹や狐といった怪異として表出する。そしてたとえば、誰にも言えなかった家族崩壊の問題について吐き出し向き合うことで、その人物が救済されるさまを描く。シリアスで内面的な問題と、自分は他の人とは違う--つまり自己の特別視という、きわめて思春期的な現象が、作品のなかで一体化している。
 と同時に、言葉遊びに満ちた会話のかけ合い、気のおけない者同士の〝いじりあい〟のおもしろさも備えている。そこには互いに好き嫌いもはっきり伝えるという、「なんでも話せる関係」がある。
 ヤングアダルト世代には、パッと見の入口からして暗く重い作品は、手に取ってもらえない。しかし、単に軽く派手な展開だけでは、読み継がれることはない。
 その点「物語」は、入りやすさ・読みやすさという〝軽さ〟と、深く内面を掘り下げていく〝重さ〟が両立している。それが中高生を惹きつけ、長きにわたって人気を博してきた理由といえるだろう。
(2021年7月1日更新  / 本紙「新文化」2021年4月22日号掲載)