7月中旬から帰国していた妹と甥姪は、8月末アイルランドへ帰っていった。1カ月半、仕事以外のほぼ全時間を甥姪に捧げた伯母に残されたのは蓄積された疲労だ。抜けない倦怠感のなか、前回に引き続き甥との「言葉の思い出」を書き記しておこうと思う。
帰国直前、実家から成田のホテルに向かう時だった。「そろそろこのお家ともお別れだね。じゃあ、見えない〝ナニー〟と見えてる〝じいじ〟にバイバイして」と呼びかけた。ナニーとは5年前に亡くなった私の母のこと。なぜかおばあちゃんでもばあばでもなく、ナニーと呼ばせていた。玄関で靴を履き終わった甥はすっと家の中に向きなおり、凛とした声でこう言った。「バイバイ見えてるじいじ。バイバイ見えないナニー。バイバイ小さかったママ。バイバイ小さかったりえちゃん」
一瞬、舞台を観ているのかと思った。たった8歳の男の子の向こう側に、私たち家族の人生が見えたようだった。でもなぜか、どこかで見たことのある景色。ああ、あれだ。ソートン・ワイルダーの戯曲「わが町」。グローヴァーズ・コーナーズという特別なことはないありふれた町を舞台に描かれる「日常」「結婚」「死」。最後にヒロインのメアリーが言った台詞だった気がする。
家に帰って慌てて本を探す。ない。持ってなかったっけ? 緑の表紙の。検索してみる。あったこれだ! よく見ると研究社の小英文叢書ではないか。そうだ思い出した。大学の英語の授業のテキストだったけど、読みこなさないまま捨てたんだ。じゃあ、私はどこで「わが町」を読んだの? 混乱しつつも私の記憶はようやく大学の舞台総合実習の課題にたどり着く。たぶん、先輩か同期の舞台を観たのだった。読んでなかった………。
手に入れたハヤカワ演劇文庫『ソーントン・ワイルダー(1) わが町』(早川書房、T・ワイルダー著・鳴海四郎訳)に探していた言葉を見つける。「さよなら、世のなかよ、さようなら。グローヴァーズ・コーナーズもさようなら……ママもパパも、さようなら。時計の音も……ママのヒマワリも。それからお料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。あったかいお風呂も……夜眠って朝起きることも」ありふれた日常を称賛するメアリーの言葉に、私はやっと、たどり着いたのだ。
甥は何を想って、あんな台詞を言ったのだろうか。いつか聞いてみたい気がする。ちなみに、今の実家は私が27歳のときに引っ越した場所なので、子どもだった私の亡霊は住んでいないはず、というのはここだけの話。
(本紙「新文化」2022年10月6日号掲載)