第9回  言葉を自分のものにするとき

 この夏、3年ぶりにアイルランド在住の妹と甥・姪が帰国している。コロナのせいでずっと叶わなかった。5歳だった甥は8歳に。日本語も達者になった。
 感染対策しつつ、なんとか久々の日本を満喫させてあげたいと伯母さんは必死だ。先日も猛暑のなか、ディズニーシーへ。
 「ねえねえ、理恵ちゃん。ディズニーシーのシーは海なの?」入口の看板を見て驚いたようにいう甥っ子。なんでそんなに当たり前のことを聞くんだろうと確認してみると、どうやら、彼は「DisneyC」だと思っていたらしい。初めて「DisneySea」というスペルを見てびっくりしたというわけだ。
 え? じゃあ、DisneyAとBはどこにあるんだよと、ツッコミを入れたくなる気持ちを抑えて、彼の壮大な計画を聞く。「じゃあさ、Disneylandの方も、DisneyForestとかFutureCityとかにすればいいのにね!」と流暢な英語発音を交えながら盛り上がる彼を横目に、こんな風に子どもは言葉を吸収していくんだなと感慨深くなる。
 母語は英語で、母親(私の妹)と話すときは日本語。そんな甥・姪となかなか会う機会はないけれど、電話などで話すとき「いつの間にそんな言葉を?」と思うことがある。
 例えば姪は「大きくなるのは嫌だけど3歳に〝飽き飽き〟していたから4歳になって〝せいせい〟した」と長い髪を後ろに振り払いながら女子高生さながらに発言していた。甥の最近の口癖は「ねえ、これ〝試して〟みてもいい?」だ。わざわざそんな言いまわし? と思って妹に確認してみると、親が使っているものをマネしているというわけでもなさそうだ。

 そういえば、私も「俗物」という言葉にハマっていたことを思い出した。大好きな「おちゃめなふたご」シリーズ(ポプラ社、E・ブライトン作・佐伯紀美子訳)のなかに、お金持ちで美人のアンジェラという子が出てくるのだけど、自慢ばかりで人を馬鹿にする彼女に同級生がスノッブと言うのだ。スノッブには「俗物」という意味もあると書かれており、なんとかっこいい言葉だろうと思った10歳の私は、その後中学生くらいまで多用するのだった。
 子どもって知らないうちに言葉を使いこなしていくんだな。だからこそ、対象年齢にとらわれず本人が選んだ本を自由に読ませてあげたいと思う。と言いつつ甥に「これは漢字が多くてお兄さんが読む本だから違う本にしたら」と売場で見ていて絶対に自分は言うまいと思っていた発言をしてしまい、反省するのだった。
(本紙「新文化」2022年9月8日号掲載)