旅先の旅館で、うっかり本を忘れて退屈していると、友人が詩集を持って来たというので、朗読することになった。
作者を直接知っている友人は、その詩人がどんな姿をしていて、普段はどんな言葉遣いをするのかを知っているので、どうも詩に入り込めないらしい。確かに詩はエッセイのように本当のことを書いているとは限らないし、小説や漫画のように、状況や設定を説明するのが定石でもない。
詩をつくった人の背景を知っていたほうが深く読み込める場合もあるが、本人そのものが頭に浮かぶことで、読む側の受け取り方の自由度が狭まることもあるだろう。
遥か遠い国に住む詩人や、年齢も性別も明かさない詩人の作品は、自分と詩だけのシンプルな世界に浸ることができる。
2つ3つ朗読をすると、徐々に照れがなくなり、読みながら詩に入り込むことができた。友人も楽しそうに、聴いている。発表会ではないのだから、気になった部分をゆっくり読んだり、ループしたり、言葉を付け足しても良い。
すると聞き手が意見や解釈を語り始める。これはもう朗読会というより、読書会だ。窓の外では、雨で増水した川が、どうどうと流れている。非日常の場では、より詩と親密になれることを知った。
(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)
(本紙「新文化」2021年7月29日号掲載)