第39回 「はい、よろこんで!」

 「閉店」と貼り紙がしてある、居酒屋の引き戸を開けた。駆け付けた店員は、今日で店を畳むから、限られたメニューしか用意できないと言う。そのつもりで来たから、問題はない。広い店内には、ひとりで静かに飲むお客が数人だけだった。
 全国に200店舗以上展開する大手チェーンの居酒屋は、グランドメニューだけでファミレスを凌ぐ品数だ。刺身、揚げ物、串焼き、ごはんもの、焼酎、日本酒、ワインにデザート。明日がないのに、これだけを揃えて営業していたら、大変なロスが出る。紙ペラ1枚のメニューで、誰が文句を言えようか。
 感じのいい女性の店長が切り盛りするこの店は、蕎麦屋出身の板前が揚げる天ぷらが美味い。仕事で近くまで来ると、必ず立ち寄るお気に入りの店だった。閉店の理由は知らないが、宴会で使う広い座敷が、コロナの影響を受けなかったわけはないだろう。
 しかし、私は感傷に浸るつもりで来たのではなかった。この話を、閉店が相次ぐ書店業界に繋げるつもりもない。ただ、自分の目で見ておきたかった。もはや、珍しいことでも何でもない。「ガムテープが足りなくなりそうだから、100均がやっているうちに買ってきて」と指示を出す、店長の声が聞こえた。

(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)

(本紙「新文化」2020年12月10日号掲載)