《ラーメンは好きじゃない》とエッセイに綴った作家を、無邪気にラーメン屋に誘う人は、残念ながらその文章を読んでいないのだろう。と思ったら、「とても面白かったです!」なんて絶賛したりする。話を聞けば、どうやら読んだことは本当みたいだ。
しかし、記述していることに関して、読者はすべて承知している、と信じるのは危険だ。無意識に読み飛ばしているかもしれないし、一晩寝たら、脳内で情報がねじ曲がることもある。人の記憶などあてにならないし、文章は読めても、理解の仕方は様々だ。
《ラーメンは好きじゃない》とはっきり書いても、ラーメンが死ぬほど好きな人が読めば、ラーメンは美味しいに決まっているから、嫌いだなんて受け容れられない。自分とは全然違う人間がいるということを、なかなか理解できない人は実に恐ろしい。ラーメンごときで大げさだ、と思うかもしれないが、これが思想や主義であった場合、笑い話では済まされない。
ちなみに私は《ラーメンが嫌いじゃない》。こう書いても、「新井さんラーメン嫌いって書いてましたよね? 私もラーメン嫌いなんですよ」って言う人は必ずいる。文章ってのは、思ってたほどうまく伝わらないみたいだ。
(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)
(本紙「新文化」2019年6月27日号掲載)