第46回 午前3時の待合室

 友人の飼っているうさぎが年始から体調を崩している。換毛期に多い不調で、抜けた毛をご飯と一緒に食べてしまうことが原因だそうだ。その友人が、うさぎを動物病院の夜間診療に連れて行ったときのことを話してくれた。
 その日ずっとどこか本調子ではない様子を見せていたうさぎが夜、いよいよ部屋の隅で動かなくなった。夜間診療をしている動物病院に片っ端から電話をかけ、どうにか予約が取れた病院にタクシーで駆けつけたときにはすでに時刻は午前3時をまわっていた。
 受付を済ませ、通された待合室は寒く無音だった。友人と同じようにケージを抱え、診察を待つ幾人かがすでにベンチに座っていた。
 ケージの中のうさぎは相変わらずうずくまったまま動かず、時間だけが過ぎていく。あまりにも不安で孤独で、誰かに話を聞いてほしい思ったとき、知り合いの中で唯一この時間に起きていて、電話に出てくれそうだと思い浮かんだのが私だったのだと言った。
 でも結局、その日、彼女から電話はかかってこなかった。
 普段は言葉なんてなくても通じ合えていると感じているのに、具合が悪そうなときは途端に何も分からなくなる。どこが苦しいのか言ってみて。どれくらい痛いのか教えて。そう思いながら寒い待合室でひとり座る彼女の姿を想像したら、自然に涙が出てきた。彼女と自分が重なった。
 年末年始の帰省のいちばんの目的は、老いて衰えの見えてきた飼い犬とできるだけ長い時間を過ごすことだった。
 玄関を開けて名前を呼んでも昔のように全身で喜びを表しながら出迎えてくれることはなく、奥の部屋でふかふかの布団の上で丸まったまま寝ていた。それでも近づいて顔を寄せると匂いで私だと気づいたのか、驚いたように顔をあげて尻尾をふりながら顔を舐めようとしてきた。背中を撫でると柔らかい毛のすぐ下に背骨と肋骨があった。抱き上げると記憶よりも大分軽くて、なんだか子犬に戻ってしまったようだなと思った瞬間、涙が溢れてしまった。
 ほとんどの時間を寝て過ごす愛犬の側でお正月を過ごしながら、もしかしたらこれが一緒に過ごせる最後の時間なのかもしれないなと思った。次の帰省はおそらく夏。たった数か月だけれど、それが長いのか短いのか、よく分からない。
 『ずーっと ずっと だいすきだよ』(ハンス・ウィルヘルム文・絵、久山太市訳、評論社)という絵本のことを思い出していた。「ぼく」のたいせつな犬「エルフィー」が、ある朝、目を覚ますと死んでいた。当然悲しいけれど、でも「ぼく」はいくらか気持ちが楽だった。なぜなら毎晩「ずーっと、だいすきだよ」と伝えていたから……というあらすじのとても有名な一冊だ。
 私より10倍早く年老いて、その分悲しいも嬉しいも楽しいも、私より10倍濃い毎日を送ってきた君。ずーっと、ずっとだいすきだよ。

(ライター・書評家)

(2023年2月9日更新  / 本紙「新文化」2023年1月26日号掲載)