先日、出版社のアノニマ・スタジオが主催するブックマーケットが3年ぶりに開催された。
全50ブース・56社が参加する本のお祭り。3年前にはお客さんのひとりとして参加したが、今年はほんの2時間だけ、売り子をすることになった。
浅草駅を出て、会場までの道のりを友人と日陰を選びながら歩く。エレベーターを降りると、広い会場にたくさんの出店ブースが見えた。お昼前の早い時間にも関わらず、お客さんが多い。
とりあえず会場を一周してみる。長机の上に置かれると、書店で見慣れている本でもまた違った顔に見えるから不思議だ。何冊か目星をつけたあと、店番をするブースに向かう。
2時間限定の店番。手伝ってくれる友人と一緒に位置に着くと、さっそくお客さんが何人か本を手に取ってパラパラとめくり始めた。
商品の書籍が置かれた長机を挟んで、お客さんの様子を眺める。本を読む人を見るのが好きだ。私の視線が邪魔をしてしまわないように、さりげなく正面から外れる。ひとりで見て回っている人が多い。会場全体から感じる雰囲気はざわざわしているのに、今、ここに流れている空気はしんとしている。
実を言うと、私はこういう売る側と買う側の距離が近いイベントが苦手な方だ。自分がお客さんの場合でも、できる限り放って置いて欲しいと思うタイプで、店員さんに話しかけられないために大げさに本に集中している振りをしたり、そもそも店に近寄れなかったりする。これには多分に私の人見知りをする性格が関係していそうだけれど、自分が売る側の場合はちょっと違う。買うか買わないか、今自分に必要な本なのか、そうでないのかの判断に、ほんの少しの邪魔もしたくないのだ。
本を読む人を見るのが好きと書いたけれど、私にはこの「迷っている姿」がいちばん魅力的に見える。目次を見たり、冒頭を読んでみたり、偶然に開いたページに目を通してみたりしながら、迷っている人たちは探している。この本を今ここで買わなくてはと決断するためのきっかけを、ときめきを、そしてすぐには読まないかもしれなくても、いつか自分にとって必要な1冊になるはずだという確証を。
自分以外の誰かのそんな瞬間を目撃したことはあるだろうか。本を片手にしばらくの間、その場に立って何やら考えていた人が急に何かひらめいたみたいに顔をあげた瞬間を。または、適当に開いたかのように見えたページの特定の箇所を読んで、何かに納得したように頷く瞬間を。全部身に覚えがありすぎて、まるで自分まで特別な1冊に出会えたかのように錯覚してしまう。
追体験している間にあっという間に時間は過ぎて、何だかもうお腹いっぱいでその日は結局自分の本は1冊も買わずに帰宅してしまった。
そんな日もある。
(ライター・書評家)
(2022年8月23日更新 / 本紙「新文化」2022年8月4日号掲載)