「私の人生は、私のものだから」
公衆電話の受話器を握りしめたポニーテール姿の少女が、目に涙と希望を浮かべながらそう言い放った瞬間、ざばんと背後で波しぶきが立った。暗い館内は、封切りされたばかりの映画を見ようと押しかけた客でほぼすべての席が埋まっていた。後方に席を取り、椅子に埋もれるように座る私もそのひとりだった。
ざぶん。また波が。白い泡を浮かべた波がすぐそこまで迫ってきている。スクリーンの中の少女「望(のぞみ)」と、前の夜に読んだ漫画の主人公の少女「わかめ」の姿が重なる。私の人生は私のもの。ふたりは懸命に、自分の人生をたぐり寄せようと必死に手をのばしていた。
昭和の未解決事件・グリコ森永事件をモデルに書かれた小説『罪の声』(塩田武士著、講談社文庫)が映画化された。この日、スクリーンに映し出されていた映画はこの作品だった。
主人公の男は、自宅で見つけた古いカセットテープに吹き込まれていた幼い頃の自分の声が、日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声だと気づく。そして望と、望の弟もまた、事件に声を使われ、「罪の声」を背負わされた子どもたちだった。犯行グループの一員だった望の父は殺され、遺された母子は逃亡する。
わかめは、香港の漫画家・門小雷(リトルサンダー)の漫画『わかめとなみとむげんのものがたり』(リイド社)の主人公の少女の名前だ。
わかめの母が亡くなって以来、すっかり正気をなくした父がわかめを絞め殺そうとしたとき、海藻ショップの男性店主「なみ」が突如現れ、父親を殺してしまう。一時的に助け出されたものの、父親を殺した彼を許すことができず、ある日わかめは、ふいをついて彼を殺してしまう。復讐を果たしたあと、なみへの愛に気づいた彼女は、同時に自分の人生に絡みついたたくさんの呪い--父や母や愛や憎しみにも気づき始める。
わかめの、なみへの強い気持ちは、時間も世界線も何もかもを歪ませ、いくつものパラレルワールドを生み出していく。肉体を投げ出し、海に還ってはまた生まれ直しながら、本当に見たいもの、本当に話したいこと、やりたいことを選びとっていくふたりの背後で、波が割れる。ざぶん。望にもできるよ。わかめにできたんだから。波音に消されないように、心の中で呼びかける。決して交わることのないはずの望とわかめの物語が、私を介して重なっていった。ざぶん。望にもできるよ。ざぶん。
映画館を出て、街をふらふら歩きながら、ふたりの少女のことを考える。強い思いが共鳴して、共鳴しあったふたりが時代を超えて出会うという話が確か藤子・F・不二雄の漫画にあったなとぼんやり思う。強さとは必死さのこと。彼女たちの思いが共鳴するための、いわば依り代になった私はくたくたに疲れていた。ざぶん。波音の合間に彼女たちの笑い声が聞こえてこないかと耳を澄ましたてみたけれど、何も聞こえなかった。
(ライター・書評家)
(2020年12月10日更新 / 本紙「新文化」2020年12月3日号掲載)