SNSのタイムライン上に「カミュの『ペスト』(新潮文庫)ひとり1冊まで」という文言が流れてきて思わずスクロールの手を止めた。
見ると都内の大型書店のようだった。トイレットペーパーじゃあるまいし、と興味を失いかけてふと、本棚に視線を向ける。
初めて読んだのはおそらく大学生の頃で、その後いつのまにか紛失したらしく、数年前に買い直した。隣りに並ぶ『異邦人』の表紙がボロボロなのに比べると、まだツヤが残っている。仕事帰りに電車で見かけた10代の少年少女たちの柔肌を思いだした。臨時休校からそのまま、一足早く春休みに突入したのだろうか。さよならを告げたい人に、最後の挨拶はできましたか。老婆心が疼く。
拾い読みでもしようかとページを開くと、1枚だけ付箋が貼ってあった。
「これは、あなたのような人には理解できることではないかと思うのですがね、とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」(188ページ、1行目)
私はここで言われている神を信じていない。まさか自分が生きているうちに、『ペスト』で書かれているような、移動を制限される事態になるとは想像もしていない。
ましてや多くの人たちが亡くなることになるとは。なんと呑気で、幸福な付箋だろう。ページの間にはまだ、その当時の空気が残っているような気がした。静かに本を閉じる。
3月の終わりに降る雪は東京では季節外れとされるけれど、私が育った東北ではそう珍しいことではない。卒業式や入学式には桜の花びらではなく雪が舞う。高校の卒業式は雪だった。風邪が流行していて、まだすべての大学受験の日程が終了していなくて、参加しない生徒もいた。
私は嫌々参加していた。ひどい風邪で、卒業証書の授与式ではろくに返事もできなかった。卒業後も関係が続くような友人がいるとも思っていなくて、「上京したら向こうで遊ぼうね」という口約束に曖昧に頷き続けていた。
人生はまだ始まってすらいないと思っていた。生意気で薄情で無敵。さよならを告げたい人なんていなかった。でもそれは、さよならを告げたい時にいつでも告げることができる、という前提があってこその強がりだったと、今なら分かる。
付箋が1枚だけ飛び出した『ペスト』は読み返されることなく、今も私のベッドの枕元にある。のんきで幸福だった世界につながるための、大切な人たちに今だからこそ好きと言うためのお守りだ。
(ライター・書評家)
(2020年4月16日更新 / 本紙「新文化」2020年4月2日号掲載)